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2007年11月30日

43年ぶりの風邪引きさん

油断は大敵!

本当に油断をしてしまいました。
2~3日前から喉が痛くなって、とうとう風邪らしい状況になってしまいました。
記憶をたどると、高校2年生(夜間学校)の冬に38度3分の熱が出たためやむなく仕事を休んだことがありますが、爾来、熱らしきものが出た記憶がなくて健康には絶対の自信を持っておりました。
それ以来のことで何十年ぶりかの風邪らしきものとなりました。

風邪熱が元で仕事を休んだことを恥じ、それからは一念奮起、真冬の深夜に冷水を頭からかぶり、モウモウと上がる湯?煙の中で乾布摩擦をするなどの荒行(?)で身体を鍛えました。
山梨の冬は寒く、たちまち頭が重くなるのが分かりましたので両手で頭を払ってみると、なんとバサバサと霜柱ようのものが落ちてくるではありませんか、驚くことに、ほんの一時の間に髪の毛が凍ってしまっていたのです。
昭和38年厳寒、山梨県市川大門町の下宿先での出来事でした。

ひるがえって、今年11月11日~12日の両日に行われた45年ぶりの同窓会になぞらえてみると、なんと43年ぶりの風邪との同窓会?になってしまったとも言えます。
多くの人とは45年ぶり、野球留学のTちゃんとは実に49年ぶりの同窓会でしたので、感激のあまり油断してしまい、こちらの方は全く忘却の彼方にあった風邪との縁でしたが、記憶を呼び戻してすっかり仲良くなってしまったようです。

つい、5年前までは風呂上がりに必ず冷水をかけ乾布摩擦をすることを励行しておりましたが、大阪に来てからは少しサボっていましたのでそのツケが回ってきたように思います。

もう一度○○を締め直して冷水浴と乾布摩擦を再開し、油断をした心と身体を鍛え直そうかと考えているこのごろです。

ただし!ユメユメ久那土36会の皆さんはこの様なことはしないようにして下さい!
お願い致します。


2007年11月29日

久那土の神

久那土の地名の由来について複数の方からご連絡を頂きました。

久那土生まれの甲州百目さんからは「もしかしたら神話に由来するかもしれない久那土に生まれて誇りに思う。兄弟みんなに知らせる。」
とのことです。

また、山梨ジュピターさんからは「久那土のブログを興味深く読ませて頂きました。いまも3つの道祖神が50年前と同じようにあります。
よく覚えていましたね。…
昔の人は「大切なものは文字で残すか石に刻め」と言い伝えましたが、石でできたものは半永久的に残っていくものなのですね…」
とのコメント(要約)です。

薫り高い文章を頂き恐縮しております。

「大切なもの…」はたくさんあると思いますが、よくよく考えてみますと「残す」ということの対象となる「大切なもの」には何か特別なものが別にあるように思えます。
両者が併せ持つ期待感がどうかして合わなかったりしますと意外とつれなく離れていってしまい、いつしか忘れ去ってしまうのではないかと思ったりも致します。

「大切なものは文字で残すか石に刻め」ですか…
言い得て妙!ですネ
正に金言とても申しましょうか、胸に深く刻める言葉です。

たった一言で人はチカラを得ることもあれば、生きる勇気をもらうことさえあります。

大切なことは支え合うことかもしれません…


獅子ユズと本ユズ

獅子ユズと本ユズです。

葉をつけたまま朝取り?されたものと思いますが、奈良県にお住まいの方から頂きました。
獅子ユズは主に観賞用として栽培されているようですが、厚い外皮をむくと綿のような白い柔らかな内皮があり、取り除いていくと最後に小さな実にたどり着きます。
この部分は食べられますが、じょうのうははがれやすく、果肉の食感はまさしくブンタンそのものの味です。
聞くところによると、白い綿のような内皮を丁寧に取り除いて(内皮は苦いため)厚い外皮だけをジャムにすると意外と美味しく食べられるとのことでした。

外皮に爪を立てて匂いをかぐと弱いながらもちゃんとユズの香りが致しますので、ブンタンとユズの交配品種かもしれません。
しかしながらこの果実は汁気に乏しく、果肉を搾って果汁としての利用には残念ながら向いておりません。


19,11,28撮影
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2007年11月28日

久那土

仙台の縁者から大変貴重な情報を頂きました。
小生の生まれ故郷久那土の地名についてです。

《久那土の神は古事記、日本書紀に出てくるいざなぎの尊が瞑府から追ってくるいざなみの命をさえぎるため瞑府とこの世の境の板に投げた大石を指すと言われている。
「久那土」=「くるな戸」ですね。
これが転じて村と外の境界で災いを遮る「道祖神」として信仰されてきたと言われています。》

すなわち「久那土の地名は道祖神である久那土神からきているのではないか。」と言うのです。
もしかしたら「道祖神久那土神」から由来する生まれ故郷の地名をこの齢に初めて知ることとなり、無知であったことを大いに恥じ、小生は穴があったら入りたい…

そういえば、幼稚園として使われている村の公会堂入り口には道祖神が三基ほど祭られており、中にはどうやって乗せたのか子供心に不思議で仕方がなかったほどの大きな丸石が台座に乗せられたものもあったことを記憶しております。
もしかしたら、その大石こそが久那土神?

ここは子供の頃の中心的な遊び場所となっており、また村の行事を行う共用場所でもあり、祭りがある時などは飴や菓子などがもらえる楽しい場所でもありました。

久那土…

古事記、日本書紀にまで出てくる神話に由来する地名であったら、これはニュースです。


2007年11月27日

甲斐武士

同窓生から電話が入りました。

当時、野球少年であった小生があこがれていた人で、非凡とも言える卓越した野球センスを持ち、小学校を卒業してすぐに甲府の名門校に野球留学?した人でした。
今風にいえば、昭和30年代当時の野球留学への道筋を付けたような人でその道のパイオニア的な存在でした。
実際にチームの中心的な役割を担い甲子園まで導いたと聞いております。

この様な人物は多くの人々のリーダーとなり、ここに至るまでどの様な活躍をされてきたかは想像に難くないことです。

中学生の時のことで細かなことは覚えておりませんが、凱旋した○○ちゃんが投げるバッターボックスに立たせてもらったことを鮮明に覚えております。

3球ともボールが見えないのです。
なにせ早いし、立っているのが怖いのです。
一度くらいは振ったように覚えていますが、他は腰を引いて怖々立ったまま終わりました。

昭和30年代のことですので、田舎育ちがあこがれる山梨の中心地甲府で早くから洗練された生活を送っていた○○ちゃんは同窓生の中でも一番輝いて見えました。

その還暦を迎えた者同士が語らう○○ちゃん!の連発!

これを「絆」と呼べるものであるならば、さてこの絆をどの様に説明したらよいのか…

還暦という時節が巡り合わせたこととはいえ、この絆は正に「生きる」ということに値するものではないのだろうか、と
そして、人間の「生き様」について沈思黙考させられるのも、これまでの人生をリセットして生まれ変われる還暦ではないかと考えております。

同窓生とのいろいろな話しの中で、フッと甲斐武士について思いめぐらせました。
○○ちゃんの生き様は紛れもない甲斐武士そのものではないのか、と。

2007年11月26日

燃える京都

京阪四条駅から徒歩10分ほどで八坂神社に着きます。

改札口を出て四条通を左に行きますと漬物や小物、団子や和菓子などを売る店が道路両側に軒を連ね、途中右側に祇園の入り口を見ながら八坂神社までずっと続いております。
通常では10分ほどで八坂神社に着くところを○○分?かけて行くのがまた楽しみの一つとなります。

遅い紅葉の時期をようやく迎えた京都は、正に人・人・人の波でした。

燃える京都!

はこれからが本番のようですが、12月上旬頃まで真っ赤な紅葉が楽しめそうです。

故郷山梨にいる甲州百目柿?さんが京都を懐かしんでいたのでお届けします。

19,11,25丸山公園にて
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2007年11月24日

明石のタコ

徳島行きはさんざんでした。

高速に乗るまでにピタリ停止状態の事故渋滞
ようやく高速に乗れた!と思いきや本線からの渋滞が合流付近まで伸びているではありませんか。
万事休す!

原因は京都にあり!
三連休の初日で、京都は燃える紅葉のまっただ中!であったことをうっかり忘れておりました。
誰でもが行きたいところのナンバーワン、その京都がここから近いんです!

ところが吹田インターまでのノロノロ走行を我慢我慢でようやく通り抜けたと思ったら、2個目の事故が神戸で発生しまたもや渋滞に入ってしまいました。
結局、徳島勝浦町へは2時間30分遅れとなってしまいました。

ですが、そこはタコ名人!

大好きな明石のタコだけはちゃんとゲット!致しました。
黒色に近い茶褐色となっているのは、近海で捕れた新鮮なタコの証明みたいなものです。
いとおしさもあり、この日は足4本だけにしました。

だって、楽しみはあとに取っておく…

そう、子供と一緒です。

還暦は巡り巡って0歳からの再出発。
我が儘も堂々と許される?子供に帰っております。

それにしても、明石のタコを4回も楽しむことができるなんて幸せでス。

感想ですか♪
何とも表現のしようがない歯ごたえで、味はもちろん絶品!でした。

平成の信玄公にはせめて写真だけでもと思い、クニャクニャと骨のないタコと奮闘しながら撮影しました。

でも、少しは遠慮して…
一人で食べて誠に申し訳ありません。

19,11,23撮影
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ゆこうとユズ

徳島産ゆこう(左)とユズ(右)の果実です。

ゆこうにはでこぼこがありませんが、果汁はどちらかというとまろやかです。
ユズはごつごつしたところが特徴で、特有の香りがあり果汁の酸味はきつい方です。

「ユズの原産は中国揚子江の上流で、日本では調理用に広く利用されたため全国各地に多数の雑種を産み落とした。」とカンキツ総論(筑波大教授岩堀修一、愛媛大門屋一臣編)にあります。
ユコウはスダチと同じくユズ近縁の酸果カンキツ(同カンキツ総論)で、徳島県の特産品として知られております。

これらの果実は、果皮汁があまり混入しないよう細心の注意を払い搾りの幅を調整された機械で丁寧に搾られ、果実酢としてポン酢やタレなど調味料の材料となります。
さらに一方では、ユズ関連のジュースやユズ味噌、マーマレードなど食べ物の食材としても多彩で人気も高い果実です。

ところが多くの柑橘果皮には強烈な苦みと渋みがあり、搾汁の際にこれらが大量に混入しますと料理を食べあとに後味として苦味や渋みが一気に口中に広がり、素材の味を最も重要視している和食料理を台無しにしてしまうことになりかねませんので、「和食料理に合わない苦味や渋みを取り除くことに最も腐心した。」ことを創業者から聞いております。

小生が今製造しているポン酢には、創業者の苦心と汗の結晶が一杯詰まっていることが偲ばれ感慨もひとしおです。


19,11,24撮影
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2007年11月22日

柚子の香り…

本日はもう店じまい!

と、勇躍帰ろうとしていたんですが…
必ず行うメールチェック!

なんだか予感がしていたんです♪

そう!平成の信玄公のメール…

「オーウエだー!」
ウエでも下でもどちらでもいいのだけれど、相変わらず声が大きいネー

それにしても予感がズバリ!的中するとはなんだか不思議な感覚…

でも…チョッと待ってよ

なんだか今日は随分優しいネ…

もしかして、少しはポン酢屋社長業を理解してくれるようになったのかなアー
世間様が思っているように、社長業は決して楽じゃアーないんだから…

ところで、明日は徳島行きです。
言っておくけど遊びじゃーないよ、仕事だよ。

途中、明石大橋をおりて「明石のタコ」を買ってくるよ。
申し訳ないけど、それくらいの贅沢は勘弁してよ!
好きなんだよ!タコが!
明石のタコ、プリプリッしててネ、こいつは特にうまい!

なぜかって…

湯気がモウモウと立っているヤツ、そう茹で上げのアツアツを売ってくれるんだヨ

だいぶ前だけど、一緒になったお客さんの一人がこう言ってたヨ
「この足を引きちぎってガブリながら大阪に帰るのが楽しみ」と。

いい風景でしょう…

おっと、明日の仕事の話しに戻るけど

小生のところのゆず果汁は全部徳島県勝浦群産ナンです。
徳島県といえばすだちがつとに有名ですが、実はゆずの栽培も盛んで、農林水産省の調査によれば隣の高知県に次ぐ生産量を誇っているとのこと。

それで、念押ししちゃうけど小生がポン酢屋社長に就任以来必ず実践していることがあるんデス。

その一 4月の下旬から5月上旬頃のすだちや柚子の花の咲く時期
その二 9月に入って露地物すだちの収穫期
その三 11月に入って柚子の収穫期

に必ず徳島に行くことナンです。

なぜって、三回とも大好きな明石のタコが食べられるでしょ。

それとネ、花の咲き具合で豊作か不作かがある程度判断できるし、現地の畑を見て地元の人の話しを聞くこともできるし、第一、就任4年目の新米社長にとって信頼関係を太くする大切な場にもなると思えば明石のタコも随分役立っていると思うヨ

… タコ好きの 好きが高じてタコ目指し 煙で巻いたタコずくし …

チャン!チャン!

どうだまいったか!平成の信玄入道!


2007年11月20日

気の置けない者同士の語らい

同窓生からファクスが入りました。

《先日は大阪から駆けつけて頂きありがとうございました。
本当に久しぶりの同級会でした。中には中学卒業以来45年ぶりに会った同級生もおりました。…(小生のこと?)
会が進行するに連れ段々昔の姿と結びついてきました。
気の置けない者同士の語らいは楽しかったですね。》

すっかり白髪になった友の顔が浮かんできます。

《今は退職して田舎で無農薬野菜を楽しみながら作っています。
最高な「水と空気と食物」+ノーストレスのスローな生活を満喫しています。…》


陽が昇ったら畑に出て、日が落ちたら家路に急ぐ生活ですか…羨ましいナー

この時期に畑で栽培している野菜は白菜それとも大根、いやいや小松菜・ほうれん草にサツマイモと里芋…

もう一人の同窓生からは自宅の庭で栽培している無農薬のゆずをたくさん送って頂きました。
ゆずは寒冷地においても比較的容易に栽培できる柑橘果実の一種で、木枯らしの吹くころ周辺の木々が早々と冬支度をしている中で夕陽を浴びてひときわ黄色く輝いているゆずの木だけが遠望できる、そうしたゆったりとした時間の流れる風景が当たり前のようにそこかしこにありました。

どこの地域のものであっても独特の芳香を放つことで柑橘の雄と呼ばれる所以がありますが、生まれ故郷に育ったゆずですので感慨もひとしおです。
故郷をでてから45年の小生に、故郷の香りを送ってくれた同窓生Y・Y君の思いやりに感謝!の念で一杯です。
Y・Y君の思いやりに乾杯をしたい気持ちです。本当にありがとう!

19,11,20撮影
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2007年11月19日

晩秋の石舞台古墳

先週の土曜日に晩秋の飛鳥路を散策してきました。
天気も良く、周辺は収穫期を迎え色づいた柿が鈴なりでした。
持統天皇陵の傍らでは大きな富有柿が7個300円で売られておりました。
「天皇陵をお護りしていた子孫と関係があるんですか?」などと世間話をしながらちゃっかり1個おまけをしてもらって購入しました。
この様な土地の人々との世間話を楽しみながら高松塚古墳と石舞台古墳などを見学してきました。

昨日は近畿と関東とで木枯らし1号が同時に吹き大荒れとなりましたが、季節は冬に向かって足早に歩き始めました。
木枯らし1号は正に冬本番!への旅先案内人です。
今年の冬は皆さんにとってどの様な旅となるのでしょうか…

温かくあっても欲しいし、グン!と冷えて寒い冬になっても欲しいし…

ついついポン酢屋の本音が出てしまいます。

昼過ぎの外気を観測しましたら12℃でした。
木枯らしが吹いて急に寒くなった今夜は、どうぞ温かい鍋を囲んでワイワイ賑やかにお楽しみ下さい。
皆さん!この様なときこそポン酢は必需品ですゾ!


19,11,17撮影 石舞台古墳
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2007年11月15日

甲州百目

甲州百目という種類の渋柿です。
平均250g~300gあるそうですが、写真のものは295gありました。
甲州百目の特徴は熟してもしっかりしていて形が崩れないことです。
また山梨名産「ころ柿(干し柿)」となる柿としても有名です。

小学校低学年生の頃、母親が稲わらを敷いた箱の上に甲州百目を並べて「暗いところに置いとくとうまくなるんだよ。」といいながら戸棚の奥の方に大事そうに置いたのを思い出します。
10日ほどすると、いわゆる橙色に近かった「柿色」がさらに赤みを増し、日を追って段々と熟して本来の「柿色」に染まっていきます。
おやつとなる「菓子」がない時代の事ですので、甲州百目の熟し柿(田舎では「ずくしがき」といってました。)は大変貴重なものです。
いつになったら食べれるのだろうとワクワクしながら赤く熟するのを待っていたことが思い出されます。

それでも待ちきれないのが子供です。
母親のいない頃を見計らって、ついに戸棚の奥深いところの柿を探し出します。
まだ渋くて食べられないことなんかお構いなしです。
上半分は何とか食べられましたが、下半分はべー!ぺっぺっでした…

そんな思い出のある「甲州百目」の苗木を見つけに故郷山梨の果樹園まで行き、千葉の自宅に移植してから十数年経ち、ようやくこの2~3年で少しずつ収穫出来るようになりました。
消毒は一切していませんので大半は途中で落下してしまいますが、今年も何とか10個ほどとれました。

甲州百目を自宅の庭に植えて、山梨との接点をこの様にして辛うじて継続させておりましたが、久那土三六会の皆さんがこのブログを読んで「そういえば俺にもそんなことがあったなアー」などと子供の頃を思い起こしてもらえたら大変嬉しいのですが。

ところで、このところ山梨は観光客が増えているそうです。
山本勘助のドラマが後押しをしているようです。

これは内緒の話ですが、実は先日の同窓会でしばらくぶりに会った竹馬の友の風貌がびっくりするほど信玄公に似ているではありませんか。
誰言うまでもなく、似ている!似ている!の大合唱♪
無精で伸ばしている月代もそのまま通用致します。
現代版信玄公は、お腹も大きく声も大きく、同窓会ではどこの席においても彼の独壇場であったことはいうまでもありません。
しかも頭部を覆うものは殆どなくなっており、テカテカと見事なまでに光っております。
どちらかというと背も低い方で、髭を蓄えれば高野山に現存している肖像画武田信玄像にピッタリ?当てはまります。

笛吹川に武田信玄入道現る!皆さんこれは大ニュースです!


19,11,14撮影 これは現代版信玄公の頭ではありません。甲州百目です。
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2007年11月14日

甲斐の山々(45年ぶりの同窓会その2)

♪粗霊まします この山河…

どこまでも続く甲斐の山々…

そして、時空を越えた不思議な縁…

久那土と呼ばれる地域で生まれ育った同窓生との縁は、小学校を経て中学校を卒業する15~6年もの間に及びます。

この同窓会では女性と男性の区別は必要ありませんでした。
○○ちゃん!
名札を見なくても分かる人がおりました。
不思議な感情が沸々と湧き上がってきます。

マドンナですか?
小生の時代にもちゃんとおりましたョ
小学校の運動会でマイムマイムを踊るときなど手をつなぐことも出来なくて…
もちろん、まともに顔を合わすのも口をきくことすら恥ずかしくて、思い返してみたらなんにも出来ずに卒業してしまっておりました。
でも同窓会では不思議な感情が出ましたネ。
この日は出席している女性全員がマドンナに見えてしまいました。
どの人もどの人も、年齢に応じたいずれも劣らぬ美しさを兼ね備えておりました。
人生という年輪からにじみ出る美しさは、凛として揺るがぬものを備えておりそれぞれが別々の美しさを主張しておりました。

甲斐の山と武田武士

故郷とはかくも懐かしく、そしてどこまでも寛容でいて懐が深く温かく包んでくれている…

19,11,12笛吹川フルーツ公園から甲斐の山々を望む。
19,11,12 フルーツ公園から富士を見る④_320.JPG

平成の浦島太郎(45年ぶりの同窓会その1)

45年の時間が一瞬にして氷解できるのか…それとも…

ぶどう園の中から温泉が湧出したことで有名な石和温泉郷の某ホテル玄関におそるおそる入ったとたん

てるひさ!

ホテル中に響く驚きの大きな声で呼び止められました。
しかしにこやかな顔で近づいてくるその声の主は残念ながら誰だか思い出せません。

俺だよ!○○だよ!おめーはすぐ分かったよ!

そうなんです。ここは山梨、甲州弁の本場!
奥の受付に座っている4~5名の同級生が次々に

「オメー俺が分かるか」

誰だか全く分からない…
○○だよ…

そうか、どうりで男前だと思ったけのだけど、確か小生より体格がよかったはずだったが…
そうだったのか、体格の方は45年のどこかの時点にいつの間にか抜いていたのか…

ひとしきり45年前の同級生の名前と目の前の顔とを一致させることで名札をチラチラ、頭の中は早くもパンク状態!
同級生のことは何でも知っている竹馬の友はまだ姿を見せないし…
困った困った、非常に困った!

「オー!てるひさ何をやってるだアー」
何をやってるだーッて、お前こそこんなに遅くなって、おかげで…
相変わらず小太りの身体を揺すりながらようやく竹馬の友が姿を現せてくれました。
それにしても、前より少し頭部の後退が進んでいませんか?
色つやもよく前頭部がテカテカになっています…

さアー 全員が名札を付けての同窓会…
緞帳が上がりました。

ここでちょっと一休みして「同窓会」の意義を考えてみました。

いろいろな場面でいろいろな思いが交錯しているのが同窓会だと思います。
人と人とのつながりは、生まれたときから始まり、年を重ねるごとにその思いも変化してくるものと確信しています。
最も早く人と接する遊ぶ時期から学舎で一緒になって行動するのを加え集約された時期が小学生と中学生までですので、兄弟との絆とを比して考えてみると全く別の感情が生まれていても不思議ではありません。
兄弟の関係とは比しても異なるものが同窓生であることが45年もの時間を一瞬で縮めてくれたことで今回明確に実証されました。
還暦を迎えた今、人生にとって最も大切なもの、それはこれまでの思い出とこれからの人生です。
これらの全てを内包し兄弟の絆をさえはるかに越える大切なもの、それが同窓生であることが身にしみて分かりました。
兄弟の絆よりも大切なものがあるとは考えても見ませんでしたが、それでも60歳にして知ることが出来たのは大変幸せなことです。

幹事の多大なご苦労の上に実現できた45年ぶりの同窓会。
この様な同窓生が大勢、しかも健在でいることが小生にとっては大切な宝であり大きな誇りです。


19,11,12 笛吹川フルーツ公園より甲斐盆地と富士を望む
19,11,12 フルーツ公園から富士を望む③_320.JPG

2007年11月09日

遠方から賓客の来社

本日は思いがけないことがありました。
40年前に志を同じくして学び、深夜まで熱い思いを語らい合った友人が小生の会社を訪ねてくれました。

友人は北海道で大規模農場を経営しており、周辺地域のまとめ役をしております。
志を同じくした仕事を4年ほどつづけましたが、実家の事情がありやむなく北海道に帰って行きました。
以後もずっと連絡を取り続けておりましたが、このごろでは毎年送られてくる甘いノースランドレッドメロンが届くのを楽しみにしております。
通常では食べられない高価で貴重なメロンを食べられるのもこの友人のおかげです。
友人には33歳になる後継者の息子さんがおられ、将来盤石の体制作りをしているそうですが、羨ましい限りです。
北海道に帰ってから苦節20数年の実績に基づく道程はなかなか一口では説明できないことと思います。
小生の方はたかだか4年が経過しただけです。
そのことを思えば友人の頑張りには頭が下がります。

わずか1時間余のことでしたが、一気に時間を縮めた至極のひとときでした。

2007年11月08日

てわざとポン酢

「手業(てわざ)を継承してくれる人を探していたところインターネットが縁となり、もう1年以上も居つづけてくれており、このまま技術を継いでくれるのを期待している。」
技術習得の早い段階で次から次に辞めていく中でようやく落ち着いてくれそうな人が見つかった京都の老舗飴加工業を営んでいるお店の話しです。

「最近の傾向として、ある程度の技術習得を伴う仕事に関心を持ち、前向きな若者が増加傾向にある。」とは大変喜ばしいことです。

小生のところも、どちらかといえば手わざに近い「手造り」でポン酢を作っておりますので、作り手の感性や優れた官能が要求されるものがあります。
しかしながら難しいことは抜きで「美味しいポン酢を作る」ということに興味と強い関心を持っている人であればきっとすばらしいポン酢が作れると小生は思っております。

インターネットで呼び掛けてみては、とは京都の話してくれた方が勧めてくれました。
ポン酢作りが人生を変えてくれる、そんなふうになれたらと小さな夢を抱いております。