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2007年12月30日

「ポン酢屋社長の日記帳」のご支援ありがとうございました。

平成19年も残すところ1日となり、いよいよ押し詰まってきた感が致します。
本年中は「ポン酢屋社長の日記帳」をお読み頂き誠にありがとうございました。
「食」についていろいろ取りざたされている中で、作る側の思いをそのまま真っ直ぐ伝えたくて始めたブログでしたが、辛口のご意見や励ましの意見を多数頂き、改めて関心の高さを再認識しております。
「食」に関しては「これでよい。」という終わりはないと思っておりますが、小生の熱い想い?が少しは伝わりましたでしょうか。

さて、皆さんの平成19年はいかがだったでしょうか。
行く年も来る年も、それぞれに感慨深いものがあり、年の暮れにしばし沈思黙考の時を与えてくれるのもこの時期が故のセレモニー…
人の情緒と人間の慣習とが入り交じり、それぞれの情感に一つの区切りをつけてくれるのも年の暮れ…

ところで「日本人は何かにつけて区切りをつけたがる性格を持っている。」とのことを何かの本で読んだことを記憶してますが、人生において区切りをつけなければならない案件のなんと多いことか。
区切れればなんのことでもないことが、区切られることもなくずーと続いていることもあったりして…

何はともあれ!

本年も残り1日!

たくさんの区切りをつけて、新鮮な息吹を胸一杯に吸い込み、来る平成20年に向けての大きな夢をふくらませていきたいと思います。

さて、新春早々には小笠原へ視察にいってまいります。
行き先は母島です。
昨年信じられないほどの大型台風2個(瞬間最大風速58メートルの状態が8時間と30時間続いたそうです。)が襲来したため、壊滅に近い状態になった契約農家のレモン畑を視察してまいります。

自然の脅威と、その脅威にさらされながらも枝から離れまいとしたたかに頑張った小笠原島レモンの強靱さを、元気をもらいたい多くの疲れた現代人に分けてあげたい、そんな気持ちが後押しをしております。
この時期は西の風がかなり強いそうですが、何とか頑張って行ってまいります。

それでは来る平成20年が皆様にとって躍進の年になり夢が叶うことを祈念して、ブログを読んで頂いた御礼を申し上げさせて頂きます。
大変ありがとうございました。

来年も熱い思いを一杯伝えたいと思いますので、相変わらずよろしくお願い申し上げます。

2007年12月28日

甲州名産ころ柿

竹馬の友のTが自宅で採れた甲州百目で作ってくれました。

正真正銘の「手造り品」、甲州名産ころ柿です。

聞くところによると、小生のために自ら包丁を持ち皮をむいて作ってくれたそうな…
温かい心のこもった手造りのこのころ柿は、小生にとっては何にも勝る尊い宝物です。
本当にありがたいことです。

○ ――――――――――――――――――――――――――――――――― ●

Tはその昔?山梨の球界においては超有名人で、小生の眼に入らないほどのスピードボールを投げ、野球留学した学校を甲子園まで導いた逸材でした。
何がありがたいかッて言うと、その手でむいて作ってくれたころ柿だからです。

○ ――――――――――――――――――――――――――――――――― ●
 
かつて、働きながら学んでいた時に、初めての里帰りでより寡黙になった母が無造作に新聞紙に包んで持たせてくれたころ柿は、それは母の温もりのする尊い宝物でした。
帰りの身延線は、途中の大きな駅で待ち合わせをする単線で、岩間か鰍沢駅で上りと下りがスイッチしておりました。
反対線に止まっていた電車に幾度となく飛び乗ろうとして…

ころ柿には甘酸っぱい思い出がいっぱい詰まっている、いつまでも色あせない小生の宝物となっております。


…在りし日の 母の温もり確かめつ 友が作りしころ柿を手にする…

19,12,25撮影
P1040320_320.JPG

2007年12月25日

記号について質問を頂きました。

「商品販売者である株式会社大徳の後に付いているSPという記号はなんですか?」との質問を頂きました。

この記号は、食品衛生法に基づく「製造所固有記号」で、「製造所所在地及び製造者氏名の代わりに販売者及び販売者の住所、氏名の次に記載することを原則とする。」となっており、製造所が厚生労働大臣に届け出るもので、記号を追跡することで製造所が分かる仕組みになっております。
従いまして、株式会社大徳の扱う商品は全て姉妹会社である株式会社三宏が製造したものを販売しておりますので、厚生労働大臣に届け出たSPという記号が付いております。
またSPという記号は、小生が大阪に来る前の思い入れがある文字でしたのでスペシャルポン酢に引っかけて大徳の専用の記号として使用しております。

この様な質問は大歓迎ですので、どしどしお寄せ下さい。
ご質問等につきましては

http://www.daitoku.biz

大徳ホームページ「お問い合せ」コーナーからお寄せ頂けますので是非皆様のご訪問をお待ちしております。

さて、クリスマスの今夜が明けると

もうーいくつ寝るとお正月♪

と、それこそ指折り数える日数を残すのみになります。

来年こそは!と希望に燃えて張り切っては見ても、結局何となく年末を過ごして年が改まっていたのではないかと反省することしきりですが、「不退転」の覚悟が若者に理解され生かされたならば、きっとその若者の周辺から芽が出て太い根を押し出し、良い年が迎えられることになるものと大いに期待をしているところです。
 

2007年12月22日

ゆずと冬至

今日は冬至!

ゆず湯にカボチャが定番の冬至ですが、なぜこの時期にゆず湯とカボチャでしょうか。

いろいろな参考書などには「この日を境として昼と夜との時間が逆転する。」ということが書いてあります。
広辞苑によると「二十四節気の一。太陽の黄経が270度に達するときで、北半球では、正午における太陽の高度は一年中で最も低く、太陽暦では12月22日ころ。」とあります。
では、なぜこの日にゆず湯につかり、カボチャを食べる習慣ができたか、ということですが、
習慣は人の行動を決める指針となっているところから、どうも「暦」にたどり着くのではないかと推測します。
その暦については、書店や神社仏閣などで売られている小冊子「開運暦」によると、「暦は凡そ1,400年前に漢暦が伝えられてより、政道上極めて重要なものとされてきました。」とあります。

人は長い間、太陽の黄道と共に生活を営み、その生活のリズムを暦によったことは疑いのないところと思いますが、厳寒期の冬に温かいお風呂に入り、カボチャを食べて生活のリズムを取り戻そうとしたのが今日のことであれば、さほど不思議なことではないな、と思えるようになりました。
この時期は風邪引きさんが急増するなど、体調を崩す人が圧倒的に増えることを見ても、現在に通じる習慣を侮ることはできません。

さァー!今夜は古来の習慣に従って、ゆず湯にカボチャで暖かく過ごされることをお勧め致します。
そうそう、せっかくですのでゆず湯に入れるユズを一個別に除けておいて下さいネ。
ゆず湯の次は鍋ですヨー
色とりどりの野菜を一杯入れた暖かーい野菜鍋を囲んで、皆さんでワイワイやって下さいネ。
たっぷりのポン酢にユズの絞り汁をチョッと入れるのがミソですので、ソッと教えておきますネ。

…冬至湯に 思いめぐらす 久那土かな…


2007年12月21日

豊作と品薄

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ■□■果遊大徳 ■□■

◇果実と共に、果実を自在に操る仕事の意から命名しました。(果遊大徳は
(株)大徳の商標登録です。) 
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◇今年の香酸柑橘(ユズやスダチなど) の収穫状況につきましては引き続き厳しい状況であることが分かりました。

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徳島現地での収穫状況につきましては、取り敢えず昨年比では15%前後の豊作のようでした。
ただ、ここで問題が出てきました。
現地での取引価格の高騰です。
本年に入り50%もの値上がりをしたものもあります。
なぜ?豊作といわれながらこの様な状態になるのでしょうか。
理由はいくつかあります。

●---------------------------------------------------------------○

◇その一つに
栽培農家の高齢化による収穫量の激滅があります。
◇その二に
単価の低いものから高いものへの栽培転換があります。
◇その三に
今まで参画していなかった業者の参入があります。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ◇栽培地の状況      
┗┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳┛

◇当社商品のユズやスダチは徳島県勝浦郡で栽培しているものです。栽培の場所等についてはホームページhttp://www.daitoku.bizで詳しく紹介しておりますが、良い果実の採れる条件は、
①日当たりが良くて寒暖の差(果実の中身がギュッとしまるので香りの高い濃い果汁が採れる)が激しいところ
②傾斜地(全体に日が当たる)で水はけの良いところ
③適度な雨が降るところ
④人の手をどれだけかけることができるかも条件の一つ
等にあるようです。

●---------------------------------------------------------------○

栽培地の一つ勝浦郡上勝町を訪問したときのことですが、現地のスダチ山は、軽自動車一台分通れるのがやっとのガードレールのない細い道をひたすら昇っていくのです。
坂の上から車がきたら…
2~3箇所すれ違うことのできるポケットがあるのですが、お構いなく走る車…
バックミラーから見えるクラクラするようなつづら折りの山道…

やっとこさたどりついたスダチ山から見下ろす段々畑のロケーション!
ここからの眺めが一番!と案内された場所が自慢のスダチ山だとか…

興奮が静まってくると…
「この様な場所だからこそ濃い果汁が搾れるスダチが育つんだ。」
ウンウン!
山道を登り切るまでの恐怖も少し和らぎ、落ち着いて現場を見られるようになると、やっとそのように納得することができました。

●---------------------------------------------------------------○

この様な場所での収穫作業は当然のこと危険を伴い厳しいものがあります。
小生はもともと高所恐怖症ですので、はっきり言って仕事以外は飛行機には決して乗りません!(例外が一度ありましたが、現地では仕事をしていましたのでやはり仕事に入ります…)
ジェットコースターに至ってはとんでもないことです。

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今、「食」の危機が叫ばれています。
≪限界集落、放棄耕作地、食料自給率40%を割り込んだ…≫
初めて聞くような言葉の連続です…

徳島においても栽培農家の高齢化問題は人ごとではありません。
当然のこと、高い場所や狭隘な場所での果実の収穫や剪定等の作業は危険を伴いできなくなります。
危ないですよネー
この様なことも関係して年々収穫高の減少を見ているようです。

ですから、「全体的には豊作になったことは間違いないのですが、人的要因により収穫がされないところが増加し、必然的に収穫高の減少が見られ、品薄となった。」

どうもこの辺が結論のようです。

2007年12月15日

手造りの味

「絵になるものは何もありませんョ」
昨年テレビ局から取材申し込みがあったとき小生はディレクターさんにそう言いました。

実際に工場内には、どこを探してもテレビ写りするような場所もなければ、派手な演出を見せる作り方もありません。

この時期になると良く目にする映像の一つに、厳寒の酒造りがあります。
モウモウと湯気の立つ中で、上半身裸の男衆が蒸し上がった米を広げ、また一方では酒樽に長い櫂棒を入れ、かけ声よろしく白い酒をかき混ぜています。
手造りポン酢の製造風景には、残念ながらそういうような見せる場面が全くないのです。

とかく面白みのないポン酢作りですが、手造りポン酢にはやっかいなことに他にいくつもの制限がつきます。
特にマイナスとなる要因としては次のようなことが考えられます。
◇機械化による大量生産ができません
◇完成品にするまでにともかく時間がかかりすぎます
◇同一のロットで作ることが少なく、全く同じ味のものを作るのは誠に至難です
◇こだわりが高じて材料を吟味しすぎるのでコストアップしてしまいます
◇凝った材料を使おうとするため安定供給に難があり、商品供給がスムースにまいりません。
◇宣伝にチカラを入れないため、実際の内容が忠実に伝えられていません

その反面には、プラスとなる要因もあり、次のようなことが考えられます。
◇原材料を吟味しながら目が届く範囲で製造することができる
◇丁寧に時間をかけて納得のいく作り方ができる
◇他にないオリジナル性を強調するこだわった商品=作品を作ることができる
◇消費者の要望をダイレクトに受け止め製品に反映させることができる
◇作り手が誰か分かっているので安全・安心が主張できる
などです。

小生にはこの延長線上に、「美味しいポン酢」作りについての大きな関心事があります。
それは

☆『熟成』

です。

手造りポン酢の製造工程の中には手間暇かけたいろいろな製造方法があり、いずれも時間をかけて丁寧に行われます。
中でも、業務的には「寝かせる」という言葉によって説明されますが、調合が終わってから温度管理と攪拌などの世話をしながら「一定期間をおく」ものがあります。

中でも、「料亭や高級割烹仕様のポン酢は、調合後冷蔵庫で20日~1ヶ月位寝かせることがある。」ということを聞いたことがあります。
また、あるお店では「3~4日冷蔵庫で寝かせると旨くなるよ。」と秘伝?を教えてくれました。

熟成、すなわち香酸柑橘果汁の香気成分や天然クエン酸などの酸味と、鰹節のイノシン酸、昆布のグルタミン酸などの旨味成分等、それぞれ別々の素材が持っている特徴となる味が絶妙に調合され、時間を経過することにより自然な形で成分融合がなされ、温度や他の物理的な作用によって全く別のものに変化して不思議な味を作り上げてくれるのが熟成であると理解しております。
理屈からすると、その熟成をコントロールすると美味しいポン酢ができあがることとなります。

コントロールの仕方は千差万別、従ってできあがる味も作り手の心意気によってはいろいろな味となるわけです。
理屈の傍らに屁理屈があるとするならば、その屁理屈は「偏屈」とも「こだわり」とも解釈できます。
少し前には、偏屈やこだわりなどという言葉はあまりにも狭い考え方として歓迎されていなかったように覚えておりますが、なんにでも自己主張するような現代の社会風潮の中では、一つのことにこだわってものを言う人の方が、返って親近感や可愛らしさを感じさせ、今時「高い意識レベル」を持っているようなそんな重厚な存在感を感じさせます。

熟成がコントロールできて、皆がポン酢を食べて喜んでくれる、それがこだわりの味作りの先にあり、小生の夢と希望となっております。

まだ夢があるかって?
それは一杯ありますヨー

どれくらい?ですか…
それはあと、○コ!くらいです。


2007年12月14日

宿命

今、父親の病と一緒になって闘っている若者がおります。

今日か明日か…
尊い、かけがえのない命の灯が消えようとしております…

反応がまだあるので…

厳しい人生の試練…

人は生まれた時から宿命として死があり、誰もが避けては通れない人生の事実…

悲観的に考えてはダメ!

『死は宿命なので悲観的に考えてはいけない!この様なときにこそ夢と希望を構築しなければいけない!
これまで父上が生きてきた人生の集積とその生き様を引き継ぐことが大事で、その生き様が君に伝わることによって《父上の意志は生きている。》こととなる。
今、父上は荒呼吸の厳しい闘いの中でそれを君に教えている。
今、この闘いの中で尊い教えを確実に自分のものにして引き継がなかったら一生後悔することとなる。
父上の生き様を引き継ぎ、繋げることによって父上の存在を知らしめ、周りの者はそこに希望を持つこととなる。

それでも…
人生の儚さを嘆き、今生の別れを告げるとき…それは全てに悔いを残さないとき…
悔いを残すな!後ろを振り向くな!その決断は今生での唯一尊い教え…』

頑張れ!頑張れ!若者よ!
若者よ、唯一尊い教えによって、そうして大人になっていくのが生まれたときからの人の宿命とは言え、人の試練とはこういうものだとは言え、素直に自分の気持ちを表現したらいい、泣きたいときは思い切り泣いたらいい、現実にまっすぐ向かっていったらいい、曲がるなよ、全身・全霊でぶつかっていけばいい!

2007年12月12日

試食販売後編。

8~9日の両日、阪神百貨店地下一階食品売場におけるポン酢試食販売は無事終了いたしました。

「この時期にデパートで試食販売をするなんてすごいなぁー」

各方面から様々な反響が寄せられました。

食に関していろいろと取りざたされているこの時期に…ということでしょうか。
「ああ、この様な評価の仕方もあるんだ。」と、小生はこの様に評価してくれたことを素直に喜んでおります。

両日は土曜日と日曜日ですので、およそこの場合マネキンに依頼するのが通常一般的な試食販売のスタイルですが、デパートというブランドの中でどうしてもお客様の生の声を聞きたい、勉強させてもらいたいという強い要望がありましたので熟慮して皆に任せました。

「阪神百貨店のルール・マナーを守り勤務してください。」
サービス指導責任者の怖い?方がおられ、服装・姿勢・態度について厳しく指導されたことは当然のことでした。
スーパーでの試食販売経験はあったのですが、デパートでの試食販売は初めてのことで、全員取り敢えずおっとり刀風?で出発致しましたので厳しい指導にびっくりしたようです。

あとで写真を見せてもらいましたが、怖い?確かな指導の甲斐があり、服装・態度はきちんと板に付いておりました。

さすが=リュウセキさんです!

当日、小笠原島レモンのポン酢と料亭味すだちぽんずの二品を試食販売したのですが、当初の予想に反してベテラン?の料亭味すだちぽんずが検討し、ほぼ互角の売り上げを記録したようです。

料亭味すだちぽんずがベテランポン酢である理由は、「先行販売されていた醸造酢主体のポン酢に対抗して果汁主体のポン酢造りに情熱を燃やし、千里ニュータウンで600人からアンケートをとり、昭和47年に市販を開始した。」と創業者が残した大学ノートに記述されていることを根拠にしております。
思わず指折り数えてしまいましたが、35年の歴史になります。
言葉を換えれば「伝統」とも表現できるものと自負しておりますが、

「味はどうであったか、価格設定はお客様が満足できるものであったか…」
と続く「来期への考察」の記述を改めて熟読してみて、もっと美味しくするためには…

そうです!
その思いの先には「美味しい!」と喜んでくれる人の顔を見たいがために、その声を聞きたいがために、そうです思いはいつもそこにあるのです。

ベテランポン酢の意外とも言える活躍にエールを贈りたくて、つい熱くなってしまいました…


2007年12月11日

ハカラメ

通称ハカラメ、学名はセイロンベンケイソウです。
亜熱帯植物ですので寒さにはめっぽう弱く、今の時期に外に出したままでおくとたちまち枯れてしまいます。
温度管理さえしっかりしておきますと繁殖力は旺盛ですので、放っておいても葉っぱから勝手に芽が出てきます。
葉の周囲のギザギザのところから芽がにょきにょき出て来ることからハカラメ(葉から芽)の名前がついたことを聞きましたが、小生が平成6年2月に小笠原諸島を訪問したときには花が一杯咲いていましたので、上手に育てると2月頃にかけて可愛らしい花が見られるかもしれません。
(ただし、千葉で咲かせたものはおよそ1メートルくらいの高さに成長した3年ものでしたので、花を咲かせるまでにはやはり2~3年の管理が必要になると思います。)

ギザギザが20箇所ほどありますので、2~3枚の葉があればもしかしたら10株ほどの苗が採種できるかもしれません。
一日中温かい、いつも生活の中心になっている居間などに、小皿にひたひたくらいの水を張って浮かべておくと簡単に芽が出ますし、チョッとしたインテリアにもなります。
もっと簡単なのはセロテープで壁に貼っておいてもOKです。
10日位すればギザギザから白い毛根が出てきて、その後しばらくすると可愛い目がにょきにょき均等に出てきます。

真冬のこの時期に容易に芽が出ることや、その芽の出方がユニークで子だくさんを連想させ「幸福を呼ぶ」と喜ばれるなど、育て方が容易なことと併せて人気の要因となっております。
興味があり育ててみたいと思われる方がおられれば連絡(info@daitoku.bizu)を下さい、分けてやっても良いですよ。


19,12,5撮影
P1040294_320.JPG

2007年12月10日

邂逅(めぐりあい)

胸がキュンと熱くなりました。

《 …質問ではありませんが

…今から20年前位になりますが、転職活動の時に御社に短い間でしたがアルバイトでお世話になりました。…
御社が阪神百貨店で試食を行うと知り、御社成長を大変喜んでおります。…
今後とも、良品で消費者に喜びを与える商品作りを期待しております。》

今朝真っ先に目に飛び込んできたメールです。
早速、「人と人とのつながりの大切さ」をテーマとして朝礼で皆に紹介いたしました。

短い期間がどれほどのものかは分かりませんが、その短い間のわずかな「つながり」が、20年という歳月を経ても繋がっていてくれたことが嬉しいではありませんか。
就職活動から20年の歳月を経て、この方が社会的にもさどかしの地位にて活躍されているであろうことは想像に難くありません。

当時につながりを持つ人々との、誠に和気相合の仕事風景が偲ばれるところですが、誠に残念なことながら、今に残る者の中に当時につながりを持つ方は一人も残っておりません。
そんな中で、大徳という会社は今も営々と脈打ち息づいております。
創業以来50年余の今を預かる小生にとって、こんなに熱く胸を打つ嬉しいことはありません。

邂逅…

かいこう…めぐりあい

人は人との出会いから縁が生まれ、人はその縁を育て合いながら成長を重ねていく…
人はその過程で、偶然の中で成長した縁に会うことがある。
すなわち、

それが邂逅…

それは、縁を大切にしていた証…

今に見る熱い心情は尊く、胸がキュンと痛くなります…

2007年12月08日

還暦のはな垂れ小僧

43年ぶりの風邪はひどい結果をもたらしました。
ひどい結果をもたらしたのは二度目の油断からでした。

「経験の少ない者は術中にたやすくはまる。」というお手本みたいなことを人生経験豊かな?はずである還暦の小生がやってしまいました。

確かに風邪らしきものの症状が出たのですが、3~4日するとこれまでどおり改善に向かったのです。
ここで気負いましたね!
還暦は認めても体力・気力の後退は認めない!毎日ビタミン一杯のポン酢を食べているのに、風邪なんぞ何するものか!と。

それで
いつもより風呂を熱く湧かしてじっくり汗を出し、冷水を浴び再度風呂に入るのを数回繰り返しました。

風呂から上がると、これまた冷たいタオルを絞ってゴシゴシ!
真っ赤っかの肌が鏡に映し出されます。
風邪などに負けてなるものか!の、全くこれまでどおりのスタイルでした。

ニンニクをたっぷり入れた野菜鍋で糖質0%の缶ビールを飲んで…
全くといって良いほど調子がよかったんですが…

ところが…3日立っても夜の咳がなくなりません…
おかしいナー
でも、今まで熱が出たこともないので問題ない!
と、意地でも強がりを通していたのですが…

周囲の勧めもあって、流石にいろいろと考えて折れることとなり、とうとうお医者さんに看てもらうことに致しました。

診察の前に「熱を測って下さい。」と体温計を渡されました。

びっくり!でした。

37,8℃あったのです。
人生2度目の熱

調子がおかしかったのは自分の身体に異常があったのに、意地を張って現実を素直に受け入れなかったことにありました。

長い間、意地を張ってこの齢まできましたが、「耳順」の例えをしばし考えるのに、はるかに及ばぬ軽薄さをもろに出してしまったことが恥ずかしいし、周りに迷惑をかけてしまったことを猛省しています。

昔の人は偉かった!

「還暦のはな垂れ小僧!少しは人の意見も素直に聞いて、じっくり考えるだけの余裕を持ったらどうだ!」とのおしかりの声がいずこから聞こえてきます…


試食会

12月8日(土)と9日(日)の両日、大阪梅田の阪神百貨店地下一階において試食会を開催することとなりました。

試食会はメーカーに取っては真剣勝負の場であり、お客様の感想がダイレクトに頂ける大切な場でもあるとは多くの関係者が共通して認めているところでもあります。

去る11月に阪急北花田店で「ゆららぎ」と「小笠原島レモンのぽんず」二品の試食会を実施しましたが、ここでは「ゆららぎ」の評判がもう一つでした。
理由として「ゆららぎ」はネーミングからどんな商品か分からない、とのご意見を多く頂いたようでした。
以前から「ゆららぎという商品は何だか分からない。」との意見が多いことは聞いておりましたが、不思議から来るものは不思議としか説明できない小生のこだわりがあり、しばらく様子を見ることにしておりました。

「ゆららぎ」はJA伊万里梅部会の方々の手造り梅ペーストと、同じく伊万里の中島さんご夫妻の手造りゆずコショウを使用してぽんずドレッシングとして作っておりますが、できあがった味が今までにない何とも言えない不思議な味に仕上がったところから、「ゆらぎの四分の一理論から来る雑音を調和してくれる不思議」をヒントにして造語しました。

過日「ネーミングが商品を語る」という重要なことをセミナーによって知ることとなりましたが、それでも「ゆららぎ」というネーミングにこだわりがあるため未だ変更をしていません。
このごろでは、この様な分からない商品があることで、無関心が転じて「こだわり商品」の代名詞として活用できないか、などと考えたりしております。

2007年12月06日

不易流行

山梨のジュピターさんから「不易と流行」という難しい言葉のコメントを頂きました。
全く分からなかったので調べてみました。

広辞苑によると「不易流行」は芭蕉の俳諧用語で「不易は詩の基本である永遠性。」とありました。
「流行はその時々の新風の体。共に風雅の誠からでるものであるから、基本においては一であるという。」
と続きます。
これは難問です。

5・7・5文字の中に森羅万象と人間との関わり合いを説明させ或いは解釈させ、はてまた、ややもすると極めて短い文章がゆえに心の内を読み取られることのないであろうものをこれまた風雅という領域において説明させる俳諧は、凡人の小生には甚だ難解な世界のことで頭を抱えてしまいました。

これまでの生き方はどうであったか、そしてこれからの生き方をどうするのか…やってきた還暦という意識がそう私に問いました。
でも、その意識さえも同窓会に出るまでは正直のところあまり強く持っておりませんでした。
何で?、まだまだ…そんな程度の感覚でした。

60にして耳順う…

そうです。60歳を強く意識をさせたのは同窓会にありました。

過ぎし時も、これから迎える時も、全ては自然のままに流れる…
子供の頃に遊んだ山や川は今も昔と変わることなく存在する…

ようやく何かが分かってきたように感じます。

還暦に行われた同窓会には確かに強いショックを受けました。
45年ぶり、いや50年ぶりに言葉を交わした竹馬の友もおりました。
過ぎし日々の追憶に浸る余裕すらなく、大阪に帰ってきてからもただひたすら記憶と現実の重ね折りをしているうちに、やっと年齢を重ねたことを自覚させました。


自然は少しも変わっていないのに、人間だけが変わっていく…
でも、それが人生…

凡人の小生には説明しがたい難問ですが、
不易…それは無の心、なるがままと感じとりましたが…

2007年12月03日

久那土36ネットワーク

久那土の由来についての各方面からの反響があり、いろいろとやりとりをしておりましたが、いっそこの際「久那土36ネットワーク」を作って久那土出身者の還暦パワーを見せてやったらどうか、と甲州百目さんが張り切っておりますので久那土36会の皆様にお知らせすると共にご提案致します。

山梨からおよそ500㎞ほど西にいる小生には、山梨の近況を知るよしもなく、生まれ故郷の情報にはかなり飢えております。
ましてや、還暦という時空間を越えた?今となってはその思いがいや増し、寄せては返す荒波の如くに思い焦がれるほどのものとなってしまいました。

ムラサキ匂う芙蓉峰 永久(とわ)に揺るがぬ姿あり♪
水清らかな三沢川 堂々として流るなり
自然の恵み ああ我ら
久那土中学生徒会♪

何気なく口ずさんでいた芙蓉峰の意味合いは、赤紫色の芙蓉の大輪を花の中では一番見事な花として、久那土に迫る峰々から頭一つ飛び出して見える日本一の富士山に見立てて言っていることをかなり後になって知りました。
今でこそエンゼルトランペットやカサブランカなど見事な大輪の花がいくつかありますが、当時の久那土では芙蓉の花が一番大きく見事だったのではないかと思いめぐらせています。
作詞作曲は確か二宮先生だと記憶しています。

三筋の道の中なりと♪

と続く三筋の道の一筋は、三沢地区から右に折れ、大道から大石、上田原に通じる道、もう一筋は久那土役場から右に折れ三沢川に沿って車田、切房木、道を経て古関に通じる道、残りの一筋は役場をそのまま直進し、樋田川に沿って熊澤、久保、山保を経て四尾連に通じる道が地図によって確認できます。

蛾ヶ岳を水源として各村落に沿って流れる三沢川と樋田川は、役場前でようやく合流し、久那土中学校の辺までくると三沢川としての終焉をほどなく迎える場所で、少し上流の身延線鉄橋の前あたりから川は二筋に別れ、中州ができておりました。
中学校の横からは対岸までちょうど100メートルほどあり、その中州でキャンプファイヤーをやったのを覚えています。

クラスを小グループに分けて寸劇を披露することとなり、毛布をかぶり夜陰に乗じて手品師となった小生はグループの数名を異なった動物に変えるパフォーマンスを演じ、喝采を浴びたことを覚えています。
誰れ!誰れ!
の女性徒の声を後ろに聞きながら、毛布をかぶったまま得意になっていた頃を思い起こします。

三沢川は「津向(つむぎ)の文吉」という侠客がいたという津向と鴨狩を経て、ほどなく富士川に合流し、日本における湾の中では最も深いといわれている静岡県の駿河湾へと流れていきます。

はるか遠く過ぎ去りし日に、山里の母校久那土中学校の思い出の一シーン…

ある夏の日に、たゆとう風にゆだねられた大輪の芙蓉…
今はもう、しなやかに寄せくるほろ苦い追憶となっております…


2007年12月01日

大切なもの

桜が見れるかどうか…

医師からそう伝えられたそうです。


12月に入りました。
今日から師走!
「師走」の語源は、12月は僧を呼んでお経を読ませるので、僧が東西に忙しく走り回るところから「師走り月」や「年が果てる月」また「四季が果てる月」など諸説があるようです。

さて、

…桜…
の事ですが…

桜は日本を象徴する花木として、或いは古には「花は桜木人は武士」とも称され、花の中では桜、人の中では武士が一番であるとする考え方もあったようです。
木でありながら花から先に咲かせる桜とアメリカハナミズキは習性がよく似ていることから、日米間の友好を祈念し、交換してそれぞれの地に植栽されることとなり、彼の地においては公園の桜並木が今やワシントンを代表する景勝地にもなっていると聞きます。

或いは、満開の桜がその役割を終え、その散り際を潔よしとして武士の意地に見出してみたり、「桜咲く」や「桜散る」を入学試験の合否に例えたりしてきています。

この様に桜は、日本人の生活に深く密着した形でいろんなものの例えに使われ、そして親しまれてきた特別な花木で、日本人の精神美学のシンボルとさえも言えます。

そして、人の生の終焉という人生の幕引きにも桜は引き出されます。

…桜…

季節が巡ればまた春となり、日本の至る所で見事な桜が咲き競い合います。
しかし、大切な人を失うかもしれないという岐路に立たされている人々にとっては、巡りくる季節をねじ曲げてでも咲いて欲しくない、と祈る花ともなるのです…