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2010年03月18日

柑橘果皮と健康について

柑橘の果皮について少し考えてみたいと思います。

子供の頃を思い出していますが、熟した甲州百目の種の周りについているプルプルしたゼラチン状のところが特に甘くて上手に舌でからみとって食べていましたが、あれは鳥などに食べてもらって遠くに運んでもらい子孫を増やすための自然界における上手なしくみだそうなんですね。
同じように、柑橘の種にもそのようなプルプルがあり、特にユズにはたくさんついています。
甲州百目の方はよく知りませんが、ユズのものはペクチンだそうですね。
ユズの種を手に取ると手がツルッツルになります。
あの酸っぱいユズでも熟してくると種も成熟し、何とか鳥などにも食べられるようになり胃袋に収納され別の場所に運ばれてフンと共に地面に落とされます。
種の保存のための恐るべき自然のなせるチカラです。

さて、柑橘の皮の話です。
つまり果皮のことですが、鳥たちが運ぶ前まで種の成熟するまでその種を護っているのは果皮なんですね。
簡単に取られないように苦み成分や酸味が種を護ってくれています。
このように考えると、果実が熟するのは種が成熟した証しで、何も人間に食べてもらうために熟するわけではないのですね。
時々人間は勝手な解釈をするわけですが、自然界のしくみを知ることはよいことだと思います。

柑橘にはまだまだ知られていない機能性成分がたくさんあり、それらは人間の健康維持に大変有用なものではないかと最近予防医学を中心として注目を集めているようです。
例えば柑橘の酸味は主としてクエン酸ですが血行をよくすることで知られ、疲労回復に即効性があることは周知の事実です。
香気成分からはリラックス効果が得られ、様々な分野において珍重されています。
特に複雑な社会構造の中にあって、必要以上に神経をすり減らしている現代人にはアロマテラピーという形で重宝され活用されています。

そんな中で、近年とみに注目を浴びて来つつあるのが柑橘果皮の苦み成分です。
その昔、柑橘の皮は天日干しした果皮を漢方薬として利用したり、燃やして蚊いぶしに使用したりしていたようです。
現代の生活環境にそのまま当てはまるものではないと思いますが、昔から利用していた事実は現在に通じることもあるのでは、と思うのです。
専門家の研究も特段に進み、柑橘果皮の苦みは予防医学に大いに貢献できるという記事も散見されます。
小生はこのような情報から柑橘を食べてもできる限り果皮を食べるように努力しています。
食べ方は蜂蜜漬けの方法ですが、柑橘の絞り汁をひたひたに足して果皮全体に甘み等が浸透するようにしただけの誠に簡単な調理方法ですが、果皮の苦みが蜂蜜の甘みと相性よく混ざり合い、美味しさを堪能させてくれています。
もちろん苦みは残っていますが身体によいとの情報は小生の単純脳細胞を刺激して美味しさに変化させてくれていますので今のところ支障はありません。
この果皮を食べたり柑橘果汁がたっぷり入ったポン酢や果汁で割った焼酎を毎日飲んだりしているせいか、長年にわたって苦しめられてきた杉花粉症の症状が今のところありません。
大阪の空気が東京よりきれいだからなのか、今年は花粉があまり飛散していないからなのか、それとも柑橘果汁や果皮を一杯摂取しているからなのか改善要因は全くわかりません。
いずれにしましても、花粉症に悩まされている方は半信半疑を前提として実践してみる価値があるかもしれません。
ただし、事前にお知らせしておきますが小生の身体を柑橘漬けにしてから約6年ほど経過していることも事実のところですのでこちらもご参考にしてください。
結論としましては、つたない経験からも予防医学の観点からも柑橘類や柑橘果皮を大いに食べることを是非ともお勧めしたいと思います。

今日は彼岸入りです。
芽吹きの春が本格的な活動期に突入致しました。
いろいろな意味で、酸味の強い柑橘果汁を食卓に上手に取り入れ、普段の食事が美味しく食べられるような健康維持に努めて頂きたいと願っています。


2010年03月06日

春には雨が味方

このところやけに雨が多いのですが、雨が味方となって春が駆け足でやってきていることが身体の軽快な動きによって体感できますね。

このように季節は何事にも真摯に、しかも逃げようとせずに真っ正面から立ち向かって来てくれます。
この日本の季節を捉えて日本的な潔さを感じるのは小生だけでしょうか。
かつて、潔さと清らかさを「恥」という倫理観により武士道を持って日本人の知的感覚を世界に示した一時期もありました。

先日久那土の同級生Tちゃんからフキノトウとフキ味噌が送られてきました。
生まれ育った久那土の香りが満載です。
大事に大事に、少量づつ味を噛みしめながら感謝感謝の思いで食べています。
電話でお礼を言ったら「そんなもん…」て、Tちゃんは相変わらずぶっきらぼうな言い回しで謙遜していましたが、生まれ故郷を離れて半世紀近くにもなる小生にとって、故郷久那土の匂いにはそれは特別な思いがあります。
摘まれたばかりのフキノトウは、熱湯をサッと通し鰹節を載せ自慢のぽん酢をかけて頂きました。
苦み走ったあの独特の味は何ともいえないものでした。
それにしてもサッと茹でたフキノトウにぽん酢はよく合います。
相性がいいのか、小生の思い過ごしなのか…
その辺はわかりません。

さて、先日まで職業訓練の一環と言うことで30歳を少し超えた若者を一ヶ月間預かっていました。
特に仕事に対する考え方と仕事の進め方を中心に指導させて頂きました。
・大きくは、仕事を人生の目標として捉える。
・小さくは、日々仕事の目標を設定し、計画を細かくプログラム化して検証しやすくする。
・昨日より今日は何が前進しているかを細かく分析し、必ず書き留めておく。
・今日の成果は何があったか、それは自分に何をもたらしたか明確に捉える。
・日々反省と工夫改善を加え、明日へつなげる目標設定をして次に備える。

次代を担う若者は将来設計に対する多くの不安を持っており、何かしら自信を失ってしまっているように思えます。
目に見える強さが感じられません。
衣・食・住が充足された平均中流階級という時代の中で、自活が必要な年齢に至るまで身の回りのことを誰かにかまってもらい、ある意味での過保護に育ったが故に自立心が遅れているように感じられます。

厳しく指導した翌日に「昨夜考えて書いてきました。」と、
・目標
・検証
・反省と検討
の文章を提出してきました。

まずは一歩前進といったところです。


仕事とは、人が生きていく上で最も大切な糧を得るために働くことであることを伝えました。
目標や生き甲斐も大切ですが、まずは生きていくための糧を自分で得ることができなくてはその次の設計が成り立ちません。
生きていくためには働かなくてはならないのです。
至極単純明快なことですが、現在はあまりにも自由という中に選択肢がありすぎて、身の丈を超え選ぶことを先にする傾向にあるように思えてなりません。


まもなくタデも若芽を出す時がやってきます。

毎日、毎日たで酢の製造に追われていながら、着実に、確かに季節は冬から春に変わりつつあることを肌で感じております。

新しいタデの若芽は昨年のこぼれ種から芽を吹き出しますが、人の心は何を持って新しいものに変えてくれますでしょうか…