36会(さんろく)のK君から久しぶりの電話が入りました。
「久那土の地名を何とか残したいので協力してもらいたい。」とのことです。
顧みると、久那土中学校を卒業して、久那土を後にしてから50年余を経、今は大阪の地で「ふるさとは遠きにありて思うもの」と、室生犀星の詩が身に染みる。
ふるさとは、今や過疎化の波に晒され、小学校は他所と統合され廃校になるそうだ。中学校も遅かれ早かれ同様の道をたどるとのこと。
その中で、久那土という、慣れ親しんできた文字を探してみた。
久那土小学校、久那土中学校、久那土支所、久那土郵便局、久那土駅…
このうち、久那土小学校がなくなり、中学校もなくなる。
これは一大事である。
K君からの便りと一緒に、「山梨の道祖神祭り」2006年山梨県立博物館発行 館長 平川 南氏 監修の久那土の解説書きが同封されていた。
「岐」の文字は、久那土小・中学校の校章である。
子供の頃に、この文字のいわれを知るよしもない。
前述の久那土の解説書では、「岐」フナト、クナトなどとも読むという。
古事記で、衢立船戸神(つきたてふなとのかみ)、日本書紀に岐神(ふなとのかみ)、あるいは祭神とした祭りに道饗祭(みちあえさい)がある。
また、別途見つけた資料には、大正時代まで岐小学校となっていた記述もある。
さらには、京城の守護を祈願するため京の都の四辻において行われた、八衢彦(やちまたひこ)・八衢比売(やちまたひめ)・久那斗(くなど)の三神を祭る道饗祭(みちあえさい)がある、との記述もある。
転じて、課題として、現状における地域振興にどのような支援ができるかである。
地域資源には何があるのか、その地域資源の活用はどのようにすればできるのか、魅力ある地域振興につなげるにはどのようにすればよいのか、特産品には何があるのか、魅力あるふるさと納税事業が展開可能なのか…
ハッと思い立った。
このことは、すべて今の日本が抱えている共通する問題点で、何とか解決せねばならない課題ではないのか、と。
「人生七十古希稀なり」、長寿の祝いを賜る身となったが、ふるさとに、その御礼返しをしなければならないと思う。
ふるさとは、どこにあっても(いても)ふるさとに代わりはないからである。