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2008年08月25日

繁栄と家族の絆

…選り分けたスイカ一つ持って友と会う…

いいですネー
定年を経て、猛暑の中、直接頭に太陽の光を受けても照り返すほどの勢いを持っている平成の信玄入道様が、自宅の畑で丹誠込めて栽培していたスイカの、その中でも選り分けたものを持って友に会いに行く…
還暦を超えてもなお、時間が縮まらない関係でいられるのは、夢と希望ではち切れんばかりの空間を共有した小中学校時代の同級生だからだと思います。

それぞれが、みな、等しく相応の充実した社会貢献の時期を経て、その大切な友にスイカを持っていった友も、それぞれみんないい人ばかりです。
せっかく?持っていったのですが、当の平成の信玄入道様は現役時代に鍛えに鍛えた「アポ取り」の常識を実行しないで、いきなり「飛び込み訪問?」をしてしまったものですから、友はゴルフに行っていて留守だったそうな…
ウーン、みんなそれぞれに体調管理に精出しているんだ。
負けていられないけど…
何せ、「石部金吉」なんて呼ばれていたこともあって、そんな、もっぱらハイソサエティの方々が親しむゴルフなんかには全く縁がないし…
未だに小生の○○性分は変わってはいないようです。

ところで、今日の大阪の気候ですが、ズバリ、涼しい風が吹いております。
急に、まさしく急に涼しくなりました。
あの猛暑とか酷暑とかが別世界のことのように感じられます。
会社前の公園では、ススキの穂がわずかずつですが垂れ始め、夏から秋への季節の変わり目を伝える最初の使者として、いっぱしの役割を担っているように思えます。

会社の隣地には新築の家も建ち、祖父母と若夫婦らの新生活が始まろうとしております。
総勢10名からなる家族の集いは、昨今では珍しい三世代が同居する形となります。
あえてこの形を選択したのは、それぞれの持ち場でそれぞれが持っている力を合わせた家族の繁栄を望んだからにほかありません。
この固い絆は、この地に集う家族全員の繁栄をもたらすものと信じてやみません。

さて、涼風に誘われて、まもなくポン酢の季節到来となります。
今年も美味しいポン酢が作れますように、涼風とともにやってきた季節と家族の絆に感謝!感謝!で一杯です。

2008年08月21日

夏の終わりに、なぜ「かに酢」?

…コオロギの 初音に夏の 終わりかな…

暑かった…
今年の夏もようやく終盤にさしかかってきており、朝夕の風も心なしか涼しく感じられるようになって参りました。
うだるような、との表現がそのまま当てはまる日々が続いた今年の夏でしたが、ようやく一息入れるところにきております。

初夏から始まった「鮎とたで酢」のシーズンも一息入り、秋からの定番である「鍋物とポン酢」とのバトンタッチの機会を伺っているところです。 
季節を感じさせる食べ物の脇役でもある調味料は、時には主役を引き立たせる役割を担っていることにより、季節の移ろいに愛着を覚えることとなるのはごく自然の成り行きだと思っております。
このように考えてみますと、季節の移ろいと食とには切り離せない密接な関係にあることかがおわかりになると思います。
人々は季節と食とを上手に融和させながら、いろいろと工夫を重ねて悠久の時を刻んできたのですね。

さて、昨日のこと、まだうだるような暑いさなかに「かに酢を購入できるところを教えてもらいたい。」との問い合わせがありました。
「美味しいかに酢を探していたが、仕出しに入っていたかに酢を食べて問い合わせた。」とのことでした。
ここのところは大変誤解されやすいところですので最初に断っておかなければなりませんが、小生の経験上から申しますと「美味しいかに酢」というものではせっかくのカニを美味しく食べることはできないと思います。
本当に誤解しないでもらいたいのですが、「美味しいかに酢」ではなくて、「カニを美味しく食べさせてくれるかに酢」であるかどうかが重要なのです。
本来もっているカニの甘みと旨味をいかに引き出してくれるかが「かに酢」の役割にほかならないからです。
ですから小生のところのかに酢を「美味しいかに酢」と説明したことはありません。
「カニを美味しく食べさせてくれるのがこのかに酢です。」と説明しています。
小生の言い回しについて説明不足のところが多々あると思いますが、ここのところは個々の味覚の問題としてご勘弁願いたいと思います。

カニは生きているものを焼いて食べるか、塩ゆでにしてその場で何も付けないで食べるのがベストであることはどなたでも知っていることです。
しかしながらここで問題なのは、生きているカニがいつでもどこでも簡単に入手できないことにあります。
流通の問題もあったりして「冷凍カニ」が手軽に入手できるカニの主流を占める所以となるわけです。
そこで「かに酢」の真骨頂が問われることとなります。

小生が最も強調したいことは、冷凍カニに生きているカニと同じ味を求めることは無理があるということで、むしろ全く別の美味しい食味を作り上げてくれるのが「かに酢」の役割である、ということです。
美味しさは個々の味覚の話ですので、異を差し挟むつもりはありませんが、誰が食べても美味しい生きているカニと冷凍カニを比較することにはかなり無理があると思いますし、ましてや、昨年捕獲されたものなのか、一昨年なのか、それとも…
表示記載がされたものを見たことがありませんですよね。
かに酢が介在することにより、冷凍カニがむしろ生きているカニとは別の美味しい食味を提供してくれるのであったら「美味しいかに酢」と表現しても違和感がありません。
問い合わせをされた方が最も言いたかったことはここのところだと思います。
そういう存在感のある「かに酢」であることを目指しております。


2008年08月12日

ナギンデー

暦の上では立秋も過ぎ、立秋という響きから夕刻になって吹き出す風も心なしか涼しさを感じられるようになって参りました。
でも、日曜日午後3時過ぎのアスファルトとコンクリートで囲まれた繁華街の温度は36度でしたので、出歩かない方が賢明ともいえる猛暑日でした。
琵琶湖を源流とする一級河川の淀川が近くを流れているので、さどや涼しい川風が吹いてくるものとばかり思っていましたが、どうして、夜になっても温度が下がらないのは、この守口界隈もいわゆるヒートアイランド状態となっていることからでしょうか。

ともあれ、まもなく「お盆さん」を迎えます。
家族が大勢いて、賑やかだった子供の頃、供物を供え、迎え火を炊いてご先祖をお迎えし、子供会が主催する三沢川での「ナギンデー(新盆を迎えた家から拠出して頂いた杉の木や檜、孟宗竹などの先端に、麦わらで蜂巣状の受け皿を作り、倒れないように四方を針金で張って支えた塔のようなものを立てます。別に、小石を芯にして布きれを巻き、針金でギリギリと縛りながらソフトボール大の布玉を作り、1メートルほど針金をのばしてその先端を丸くして指が入りやすく作ったものを石油に浸し、火を付けてグルグル回しながら蜂巣状のところめがけて投げるもので、子供の頃は夏の害虫退治のために行うものと教えられていましたが、どうも古くから伝わる川にまつわる様々な思いを鎮めるための行事のようです。そういえば、三沢川が氾濫し、橋が流され道路が決壊し、人が流されたことを覚えています。)」は大人の盆踊りとは別の子供の重要な盆行事の一つでした。
外灯の少ない田舎でのことです。漆黒の中にゆったりと回りながら夜空に舞い上がり、遠目にはかなりの時間をかけて彼方に落ちていく火の玉は、暗闇をキャンパスにした幻想的な火の舞のように見えたものです。

大人も子供もご先祖様も、みんな一緒になって盆踊りを楽しみ、キュウリやナスでこしらえた精霊馬を三沢川に流し、ご先祖様にお帰り願う送り盆までの一連の盆行事も、今や子供の頃の思い出の中にしかたどることができません。
正月行事はご先祖様を迎える初春の行事としたならば、初秋の盆行事はやはり心なしかうら寂しい何かが重なり合います。
齢を重ねて田舎を意識すればするほど、ご先祖様を迎え入れる場所をなくしたことはやるせないどうすることもできない寂しいものが突き上げて来てしまいます。
田舎とは、そういう存在であったのですね。

…盆の里 家族集いし 三沢川 太き流れも河鹿も失せて…  


2008年08月04日

無事、これ名馬なり!

猛暑に関わらず訪問される方には大変気の毒に思います。
まずアポ取りの電話があり、来社して挨拶を交わした言葉遣いでほぼ目的が見て取れます。
それにしても、また値上げ!
それでも、できあがった商品に値上げ分をそのまま転嫁できれば良いのですが、殆どの原材料が値上げされ、再々度値上げ予定もある現状下で、製造する側としては安易な転嫁が良いとは思えませんし、このようなときこそ知恵を絞り、何か別の方法を考えることの方が大切ではないかと思います。
いくつかある要因の中で、資源のない我が国では唯一の技術力をもって対抗できていた訳ですが、コストを下げるために人件費の安い国に工場と技術を持って行ったために若者は雇用の機会を失い、技術の継承もできなくなり、ローコスト・大量生産・廉価品は「商品の多くは使い捨て」傾向に誘い「もったいない」言葉を世界共通語に押し上げてもおります。
このような状況下で、後継者問題は日本の中小零細企業の存続を脅かす大きな要因ともなっています。
雇用の機会が失われたため失業率も高くなり、日本社会の安全神話も崩れつつあります。全てはこれらのツケが来ているのではないかと思いますが、歴史は繰り返す?の例え通りだと思えませんか?


ついこの前のこと「資産もあり無借金経営の会社ですが、後任社長のなり手がいない。誰か知り合いに情熱をもった人がいませんか。社長さんはあと何年するつもりですか?」
オッと!白羽の矢、ですか!
「ずっとです。」
躊躇ない小生の答えに話題がとぎれましたが、黒字経営の会社にも、まさかのこのような悩みがあるとは驚きました。いっそ、頑張っている中小零細企業に資産を譲って、後顧の憂いなく悠々と余生を送られたらホント、清々すると思いますがいかがなものでしょうか。
なかなか、中小零細企業の現状には目に見えないところでどうすることもできない厳しいものがあるものですね。


これまでは小生どもの商品は「値段が高すぎる!」との声がありましたが、最近になって殆ど聞かなくなりました。今では「いよいよ時節到来ですね。」と言って後押しをしてくれる声が多くなってきております。
安いものを買うことに異議を差し挟むものではありませんが、良い商品を作ってその商品にそれなりの値段を付けることに躊躇はありません。
「高くて売りにくい」ということとは別もので、商品の内容にお客様が納得して頂けるのであれば値段が高くても何ら問題はない、と小生は考えております。
もちろん、知恵と工夫を凝らすことは大切なことであり、良い商品を少しでも廉価に製造する努力を惜しむものではありません。


安価な商品と品質の間には、商品を選択する際において「錯覚」に陥りやすい何かが潜んでいるように思えます。目利きを媒介にした、より安い値段のものを瞬間的に選ばせる競争心理に問いかけるものです。
競争心理は、誰よりも早く手に入れたい願望を満たしてもくれます。
もしかして、選ぶことより知らないうちに「錯覚」によって選ばされているのであったらどうでしょうか。
じっくり選ぶ、ということは単純な割に意外と大切なことかもしれません。


また「良いもの」の定義や基準はどうやって決めているのだろうか、ということにも興味があります。
インターネットの普及により、今や口コミをビジネスにしているところもありますが、自信をもって第三者に紹介できるものは、古くから唯一手堅く安心できる良品として多くの人に支持されてきました。
伝統の○○、老舗、本舗、元祖、創業○○年なども長年にわたり顧客に支持されてきた証です。
多くの顧客に支持されてきた証には重いものがあり、絶対揺るがない商品に対する自信にも繋がっていることと思います。


〃無事、これ名馬なり〃とは、小生の恩師の言葉でもあります。