甲州百目という種類の渋柿です。
平均250g~300gあるそうですが、写真のものは295gありました。
甲州百目の特徴は熟してもしっかりしていて形が崩れないことです。
また山梨名産「ころ柿(干し柿)」となる柿としても有名です。
小学校低学年生の頃、母親が稲わらを敷いた箱の上に甲州百目を並べて「暗いところに置いとくとうまくなるんだよ。」といいながら戸棚の奥の方に大事そうに置いたのを思い出します。
10日ほどすると、いわゆる橙色に近かった「柿色」がさらに赤みを増し、日を追って段々と熟して本来の「柿色」に染まっていきます。
おやつとなる「菓子」がない時代の事ですので、甲州百目の熟し柿(田舎では「ずくしがき」といってました。)は大変貴重なものです。
いつになったら食べれるのだろうとワクワクしながら赤く熟するのを待っていたことが思い出されます。
それでも待ちきれないのが子供です。
母親のいない頃を見計らって、ついに戸棚の奥深いところの柿を探し出します。
まだ渋くて食べられないことなんかお構いなしです。
上半分は何とか食べられましたが、下半分はべー!ぺっぺっでした…
そんな思い出のある「甲州百目」の苗木を見つけに故郷山梨の果樹園まで行き、千葉の自宅に移植してから十数年経ち、ようやくこの2~3年で少しずつ収穫出来るようになりました。
消毒は一切していませんので大半は途中で落下してしまいますが、今年も何とか10個ほどとれました。
甲州百目を自宅の庭に植えて、山梨との接点をこの様にして辛うじて継続させておりましたが、久那土三六会の皆さんがこのブログを読んで「そういえば俺にもそんなことがあったなアー」などと子供の頃を思い起こしてもらえたら大変嬉しいのですが。
ところで、このところ山梨は観光客が増えているそうです。
山本勘助のドラマが後押しをしているようです。
これは内緒の話ですが、実は先日の同窓会でしばらくぶりに会った竹馬の友の風貌がびっくりするほど信玄公に似ているではありませんか。
誰言うまでもなく、似ている!似ている!の大合唱♪
無精で伸ばしている月代もそのまま通用致します。
現代版信玄公は、お腹も大きく声も大きく、同窓会ではどこの席においても彼の独壇場であったことはいうまでもありません。
しかも頭部を覆うものは殆どなくなっており、テカテカと見事なまでに光っております。
どちらかというと背も低い方で、髭を蓄えれば高野山に現存している肖像画武田信玄像にピッタリ?当てはまります。
笛吹川に武田信玄入道現る!皆さんこれは大ニュースです!
19,11,14撮影 これは現代版信玄公の頭ではありません。甲州百目です。
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