久那土の由来についての各方面からの反響があり、いろいろとやりとりをしておりましたが、いっそこの際「久那土36ネットワーク」を作って久那土出身者の還暦パワーを見せてやったらどうか、と甲州百目さんが張り切っておりますので久那土36会の皆様にお知らせすると共にご提案致します。
山梨からおよそ500㎞ほど西にいる小生には、山梨の近況を知るよしもなく、生まれ故郷の情報にはかなり飢えております。
ましてや、還暦という時空間を越えた?今となってはその思いがいや増し、寄せては返す荒波の如くに思い焦がれるほどのものとなってしまいました。
ムラサキ匂う芙蓉峰 永久(とわ)に揺るがぬ姿あり♪
水清らかな三沢川 堂々として流るなり
自然の恵み ああ我ら
久那土中学生徒会♪
何気なく口ずさんでいた芙蓉峰の意味合いは、赤紫色の芙蓉の大輪を花の中では一番見事な花として、久那土に迫る峰々から頭一つ飛び出して見える日本一の富士山に見立てて言っていることをかなり後になって知りました。
今でこそエンゼルトランペットやカサブランカなど見事な大輪の花がいくつかありますが、当時の久那土では芙蓉の花が一番大きく見事だったのではないかと思いめぐらせています。
作詞作曲は確か二宮先生だと記憶しています。
三筋の道の中なりと♪
と続く三筋の道の一筋は、三沢地区から右に折れ、大道から大石、上田原に通じる道、もう一筋は久那土役場から右に折れ三沢川に沿って車田、切房木、道を経て古関に通じる道、残りの一筋は役場をそのまま直進し、樋田川に沿って熊澤、久保、山保を経て四尾連に通じる道が地図によって確認できます。
蛾ヶ岳を水源として各村落に沿って流れる三沢川と樋田川は、役場前でようやく合流し、久那土中学校の辺までくると三沢川としての終焉をほどなく迎える場所で、少し上流の身延線鉄橋の前あたりから川は二筋に別れ、中州ができておりました。
中学校の横からは対岸までちょうど100メートルほどあり、その中州でキャンプファイヤーをやったのを覚えています。
クラスを小グループに分けて寸劇を披露することとなり、毛布をかぶり夜陰に乗じて手品師となった小生はグループの数名を異なった動物に変えるパフォーマンスを演じ、喝采を浴びたことを覚えています。
誰れ!誰れ!
の女性徒の声を後ろに聞きながら、毛布をかぶったまま得意になっていた頃を思い起こします。
三沢川は「津向(つむぎ)の文吉」という侠客がいたという津向と鴨狩を経て、ほどなく富士川に合流し、日本における湾の中では最も深いといわれている静岡県の駿河湾へと流れていきます。
はるか遠く過ぎ去りし日に、山里の母校久那土中学校の思い出の一シーン…
ある夏の日に、たゆとう風にゆだねられた大輪の芙蓉…
今はもう、しなやかに寄せくるほろ苦い追憶となっております…