「36会の同級生がお前のメルマガを読んでいるそうだよ。」と、平成の信玄入道からメールが入りました。
小笠原から帰阪し、しばらく時差ボケ?の状態が続いておりましたが、何とか通常の生活状態に戻ってきており、サァーこれからやるぞ!などと気合いを入れ直しているところでした。
なにせ、メジロもウグイスも、手の届くほんの1メートル近くまで寄ってくる楽園から、雀でさえも4~5メートル近づくと逃げてしまうところに帰ってきたのですから、多少ぼけるのも仕方がありません。
でも、同級生はありがたいですネー
いろんなところで、小生が全く気につかないところでもブログを読んだりして応援してくれています。
同級生の存在には本当に勇気づけられます。
それにしても、なんて気持ちのきれいな人たちばかりでしょうか。
山梨の久那土という地域の育ちだからでしょうか。
昨日某テレビを見ていて、これからの日本には36会みたいな同級生は極端に少なくなっていくのではないかという危惧を抱いてしまいました。
放映の内容は、今日本で一番大事にしていきたいもの等をテーマにしたような番組でしたが、小生自身、今大事にして未来に残したいものには一体何があるだろうか、と深く考えさせられました。
少し前の日本には、36会みたいな同級生の絆がそこらに一杯あったはずですが、果たして今の子供達が60歳の還暦を経てもなお、名前だけで呼び合い、それだけで意志を通じ合うことができる絆を作れるだろうかということです。
現在はあまりにも時間を短縮することにのみエネルギーを費やし、スローな生活をおろそかにしすぎてしまい、特に食に関しては国産ものの値段が高いがゆえに隅に追いやられがちでおります。
ところがここにきて「農薬入りギョウザ」の事件があってから国産ものが急に見直されておりますが、小生は大変よいことだと思っております。
丁寧に作る安全なものは当然コストアップすることは当たり前ですので、多少高くても目の届く範囲で管理されている国産ものを見直すべきであると声高に訴えたいと思います。
そういいつつも、小生も千葉に帰るときは新幹線を利用して時間短縮を図っておりますし、安いものから先に手を出しておりましたので大きなことは言えませんが、食の問題に関してこの場では少し立ち止まって「生きる」ことの大切さ、尊さを多方向からじっくり考えて見ることも必要ではないかと思っております。
そんな中で、昨日は何カ所かの食品売場を見て回りましたが、食に関する最近の事件からの反省からでしょうか、殆どの食品は国内産にシフトされておりました。
安全・安心が見直された結果だと高く評価しております。
現代に生きる者はその享受し得られたものを進化させ、未来へ伝える責任があります。
しかも、その責任は安全・安心なものでなくてはなりません。
生きることのその責任は今、大変重大な問題となっております。