寒さにも慣れてきて、気がつけば12月も中盤をすぎて…
と思っていた矢先、クリスマス寒波襲来です。
それにしても、この時期の寒波襲来は年中行事の様相を見せており名称の由来もどうやらこの時期に集中することから命名されたようなところですか。
その寒波もどうやら通り過ぎたようで、寒気は感じられますがまずまずの穏やかな日よりとなっております。
先日、ミーティングで掃除をすることの意義を問いました。
「きれいにするため」
それでは答えになっておりません。
身も心もきれいにするとはどう言うことかがわかっていないようです。
「私はこのように考えている。」と前置きし「仕事に入る前、掃除をすることにより自分の気持ちに喝を入れて、さァー今日も精一杯仕事をやるぞ!」とスイッチを入れ替えることが理由の一つにある。」ことを伝えました。
「身も心もきれいにしたら自然とやる気が出てくるものだ。」と思います。
そして、人生における「仕事」の意義を考えています。
人間にとって仕事はとても大切なものです。
たとえば従事する時間を切り取って単純に計算しますと1日という単位の三分の一は仕事に費やします。
残りの三分の二のうち、半分は睡眠の時間であり、残りを食事やスキルアップなどのプライベートに使います。
このように考えますと、人生の大半を費やす仕事の重要性と位置づけが「人の生きるすべ」といえることかも知れません。
それと、
近頃、とみに気になることがあるのですが、それは「仕事」への考え方が小生のころとかなり変わってきているような気がしてなりません。
仕事への考え方や捉え方が人生を物差しとして評価されておらず、単に生活のための資金確保目的になっているような気がします。
どうしてそのような考え方が支配的になってしまっているかと考えてみました。
理由の一つに刹那主義的な思いがあり、そこに誘因しているのが経済的にも精神的にも不安定要因の元に生活せざるを得ない現実の社会環境があるのではないかと思うのです。
目標・目的がしっかり持てない、希望が持ちにくいことが将来への不安を増幅しており、遠い将来よりも近未来の一時期を無難に通過することをやむなく受け入れてしまっているのではないかと思うのです。
つまりは都会では人と人との社会的繋がりが希薄の中で生活しているという多くの現実があり、その中で誰しもが心を許せる友人を得たいと渇望している側面があります。
「他人に私生活を干渉されたくないけれども孤独は耐えられない。話し相手が欲しい。」ことになります。
この矛盾についてどのように説明したらよいのでしょうか。
目標・目的を持った人生は将来への希望を持たせた大切な人生事業です。
人は「生きる」ことを事業活動としている人生事業の経営者でもあります。
大企業や中小企業等の事業責任者には交代や禅譲などにより経営から退くことができますが、人生事業に引退はありません。
故に、人は「生きる事業活動」と「人生事業の経営」について1日という単位の三分の一を費やす「仕事」を通して、一大事業活動を営んでいることを理解頂けると思うのです。
そして、何事にも真剣に誠実に対応したことが成果として手元にもたらされたとき、人は達成感によるその高揚感に浸り満足することができるのです。
おそらく、その高揚感は明日への栄養素となってさらに前に進む原動力となることは間違いありません。
零細企業の故に小生などには引退などは考えられないことですが、その方が「仕事」ができて返って良いのかも知れません。
日々取るに足らない小さい事柄なのですが、小さいながらにたくさんの目標と目的を持って取り組んでおりますので、為しえた成果によって達成感が得られる確率も数多くあり、結果、小さい高揚感を栄養素にして日々忙しい時間を刻んでおるところです。