桜が見れるかどうか…
医師からそう伝えられたそうです。
12月に入りました。
今日から師走!
「師走」の語源は、12月は僧を呼んでお経を読ませるので、僧が東西に忙しく走り回るところから「師走り月」や「年が果てる月」また「四季が果てる月」など諸説があるようです。
さて、
…桜…
の事ですが…
桜は日本を象徴する花木として、或いは古には「花は桜木人は武士」とも称され、花の中では桜、人の中では武士が一番であるとする考え方もあったようです。
木でありながら花から先に咲かせる桜とアメリカハナミズキは習性がよく似ていることから、日米間の友好を祈念し、交換してそれぞれの地に植栽されることとなり、彼の地においては公園の桜並木が今やワシントンを代表する景勝地にもなっていると聞きます。
或いは、満開の桜がその役割を終え、その散り際を潔よしとして武士の意地に見出してみたり、「桜咲く」や「桜散る」を入学試験の合否に例えたりしてきています。
この様に桜は、日本人の生活に深く密着した形でいろんなものの例えに使われ、そして親しまれてきた特別な花木で、日本人の精神美学のシンボルとさえも言えます。
そして、人の生の終焉という人生の幕引きにも桜は引き出されます。
…桜…
季節が巡ればまた春となり、日本の至る所で見事な桜が咲き競い合います。
しかし、大切な人を失うかもしれないという岐路に立たされている人々にとっては、巡りくる季節をねじ曲げてでも咲いて欲しくない、と祈る花ともなるのです…
2007年12月1日 at 4:24 PM
冬眠から目覚め動植物も活動を始める恵みの春と言いましょうか・・そんな春・桜も、ともすれば悲しい思い出の季節になる事も。経験のある人もいるでしょう。開放的な夏が嫌いな人。「どうして?」と人は思うけどその季節がこわかったり。人の人生それぞれ!踏み込めない入り口で一杯ですよ。朝日をみれば・・虹をみれば・・夕日をみれば・・星をみれば・・ありませんか?
2007年12月3日 at 7:39 PM
ミルクティーさん、コメントをありがとうございました。
人生って、本当にいろいろありますね。
それでも、もう何も出てこないところまで泣いて、泣いて涙を枯らして、そうしてやっと思い出を封印して、前を向いて歩いていけるのが「生きる」ということになるのかもしれません。
「生きる」ということは、本当はとてもすばらしいことなんです。
生きることのそのすばらしさは、実は幾重にも重なり合った苦しみを耐え抜いた人なら誰にでも分かることなのかもしれません。
それは必ず「次に繋げる生き方」に変えることができる人だと信じているからです。