先日、朝日放送TV「おはよう朝日です。」から取材申し込みがあったとき、担当のディレクターさんには「大徳のこだわり」について熱く語りかけました。
話しは食育にまで及びましたが、こだわりの商品を探し求めている現状の裏返しは、正直に造っているものがいかに少なくなっているか、ということにほかありません。
「こだわり」の原点は「良品」であろうと思います。しからば、「良品」とはいったいどの様なものでしょうか。商品の善し悪しは何によって決められているのでしょうか。
小生はこう考えます。
まず、作る側が使用する原材料に対する正確な知識と情報を持っていること、次に消費する側がその作り手と商品に対する理解度を深めて頂くこと、だと考えております。
いたずらに情報のみに左右されるということはすべからく控えることが肝要かと思います。
「良品は必ず、自ら勝手に歩いてくれる。」ということを小生は言い続けてまいりました。
「食べる」ということは人間の営みにおける最も重要かつ、一度とておろそかにできない生命を維持するための大切な手段です。
その食べ物を「良品か否か」の論議をしなければならないことに「食に対するゆがみ」があると感じております。
本来人間は、様々な形で自然界から食物の提供を受け生命を維持してきたわけです。
そのシステムにより身体の自助作用、すなわち自らコントロールできる「粘性」と「必要なものを取り入れ、不必要なものを排除する強い身体を兼ね備えることができるようになっていたわけです。
そのメカニズムが何によってゆがみを生ずるようになったのでしょうか。
これらのことをしっかりと受け止めて、自ら治す「粘性」を持った強い身体を作る必要があると思います。
この様な考え方も「大徳のこだわり」に繋げる大切な要素であると小生は考えております。