同窓生から電話が入りました。
当時、野球少年であった小生があこがれていた人で、非凡とも言える卓越した野球センスを持ち、小学校を卒業してすぐに甲府の名門校に野球留学?した人でした。
今風にいえば、昭和30年代当時の野球留学への道筋を付けたような人でその道のパイオニア的な存在でした。
実際にチームの中心的な役割を担い甲子園まで導いたと聞いております。
この様な人物は多くの人々のリーダーとなり、ここに至るまでどの様な活躍をされてきたかは想像に難くないことです。
中学生の時のことで細かなことは覚えておりませんが、凱旋した○○ちゃんが投げるバッターボックスに立たせてもらったことを鮮明に覚えております。
3球ともボールが見えないのです。
なにせ早いし、立っているのが怖いのです。
一度くらいは振ったように覚えていますが、他は腰を引いて怖々立ったまま終わりました。
昭和30年代のことですので、田舎育ちがあこがれる山梨の中心地甲府で早くから洗練された生活を送っていた○○ちゃんは同窓生の中でも一番輝いて見えました。
その還暦を迎えた者同士が語らう○○ちゃん!の連発!
これを「絆」と呼べるものであるならば、さてこの絆をどの様に説明したらよいのか…
還暦という時節が巡り合わせたこととはいえ、この絆は正に「生きる」ということに値するものではないのだろうか、と
そして、人間の「生き様」について沈思黙考させられるのも、これまでの人生をリセットして生まれ変われる還暦ではないかと考えております。
同窓生とのいろいろな話しの中で、フッと甲斐武士について思いめぐらせました。
○○ちゃんの生き様は紛れもない甲斐武士そのものではないのか、と。