油断は大敵!
本当に油断をしてしまいました。
2~3日前から喉が痛くなって、とうとう風邪らしい状況になってしまいました。
記憶をたどると、高校2年生(夜間学校)の冬に38度3分の熱が出たためやむなく仕事を休んだことがありますが、爾来、熱らしきものが出た記憶がなくて健康には絶対の自信を持っておりました。
それ以来のことで何十年ぶりかの風邪らしきものとなりました。
風邪熱が元で仕事を休んだことを恥じ、それからは一念奮起、真冬の深夜に冷水を頭からかぶり、モウモウと上がる湯?煙の中で乾布摩擦をするなどの荒行(?)で身体を鍛えました。
山梨の冬は寒く、たちまち頭が重くなるのが分かりましたので両手で頭を払ってみると、なんとバサバサと霜柱ようのものが落ちてくるではありませんか、驚くことに、ほんの一時の間に髪の毛が凍ってしまっていたのです。
昭和38年厳寒、山梨県市川大門町の下宿先での出来事でした。
ひるがえって、今年11月11日~12日の両日に行われた45年ぶりの同窓会になぞらえてみると、なんと43年ぶりの風邪との同窓会?になってしまったとも言えます。
多くの人とは45年ぶり、野球留学のTちゃんとは実に49年ぶりの同窓会でしたので、感激のあまり油断してしまい、こちらの方は全く忘却の彼方にあった風邪との縁でしたが、記憶を呼び戻してすっかり仲良くなってしまったようです。
つい、5年前までは風呂上がりに必ず冷水をかけ乾布摩擦をすることを励行しておりましたが、大阪に来てからは少しサボっていましたのでそのツケが回ってきたように思います。
もう一度○○を締め直して冷水浴と乾布摩擦を再開し、油断をした心と身体を鍛え直そうかと考えているこのごろです。
ただし!ユメユメ久那土36会の皆さんはこの様なことはしないようにして下さい!
お願い致します。
2007年12月3日 at 3:47 PM
毎日ブログを楽しみに読ませて頂いている一人です。溢れるような広い知識と流れるような文章は、いつ、どのように訓練されたものかと知りたくなります。
小学校卒業後の「T」のことは、いつもとても気にしていたけど、野球オンリーの私の元には届くすべがなかった。だから今日の「ブログ」に書かれていることは、ほとんど初めて知ったことが多かった。
昭和38年厳寒の下宿先での出来事や夜間学校での出来事は想像を超えるものがあり、胸が痛くなった。
全く同じ時、意識がもうろうとする中で、小さな白球を追続けていた頃の自分を思い出した。
いまあの頃に戻って、『同じことをせよ!』と言われても、もうできないが、若い時代に一つのことに夢中になれたことは、苦しく、つらかったけど俺たちの財産かもしれない。お互い、あの夢中で頑張った時代があったから、今の生活があるんだ、きっと・・・・・。
あのころは、貧しかったけど、お互いに未来に向かって何かを求めていたんだ。
風邪はどうですか。少しは咳が収まりましたか。
早く風邪を直すのには、(株)大徳さんの「ポン酢」で、温かい鍋料理をたくさん食べ、ゆっくり眠るといいよ。
2007年12月3日 at 8:41 PM
野球少年さん、すばらしいコメントをありがとうございました。
夜間高校にいっても野球だけはずっとやってましたよ。
今では笑い話で済ませられるけど、暗くなると白いボールが見えなくなってしまいます。
それで、先輩が会社の車を2~3台借りてきて、ライトをつけて練習したこともありました。
漆黒の闇の中で白いボールが最後まで見えるわけがないんですが、昼間部に通っている者に負けたくない気持ちが強く、負け惜しみの強さと好きな野球がそのようにさせたと思っています。
そのころの強烈な思い出があります。
夏の夜のことです。学校から帰り机の代用にしていたリンゴ箱にうつ伏せて寝入っていたとき、人の気配があり、気が付くとトマトが1個リンゴ箱にのせてありました。
手に取るとなんと冷たいことか!
そして、夢中でほおばった冷たいそのトマトのなんと美味しかったことか!
冷蔵庫なんてあるわけもなく、カーテンもない部屋の窓からはもう朝になっていたことが分かります。
リヤカー1台で身を起こした苦労人の社長さんがトマトを置いていったことは出勤してから知りました。
この様な話しをすると人はよくいいます。
苦労したんですね、と。
ところが少しもつらくなかったのです。
むしろ楽しかったと言えるかもしれません。
だって、野球が誰よりも好きだったし、もっと勉強して大きな人になりたいという夢がありましたから。
今ある基礎を作ってくれた夜間高校に学んだことを誇りにしています。