山梨のジュピターさんから「不易と流行」という難しい言葉のコメントを頂きました。
全く分からなかったので調べてみました。
広辞苑によると「不易流行」は芭蕉の俳諧用語で「不易は詩の基本である永遠性。」とありました。
「流行はその時々の新風の体。共に風雅の誠からでるものであるから、基本においては一であるという。」
と続きます。
これは難問です。
5・7・5文字の中に森羅万象と人間との関わり合いを説明させ或いは解釈させ、はてまた、ややもすると極めて短い文章がゆえに心の内を読み取られることのないであろうものをこれまた風雅という領域において説明させる俳諧は、凡人の小生には甚だ難解な世界のことで頭を抱えてしまいました。
これまでの生き方はどうであったか、そしてこれからの生き方をどうするのか…やってきた還暦という意識がそう私に問いました。
でも、その意識さえも同窓会に出るまでは正直のところあまり強く持っておりませんでした。
何で?、まだまだ…そんな程度の感覚でした。
60にして耳順う…
そうです。60歳を強く意識をさせたのは同窓会にありました。
過ぎし時も、これから迎える時も、全ては自然のままに流れる…
子供の頃に遊んだ山や川は今も昔と変わることなく存在する…
ようやく何かが分かってきたように感じます。
還暦に行われた同窓会には確かに強いショックを受けました。
45年ぶり、いや50年ぶりに言葉を交わした竹馬の友もおりました。
過ぎし日々の追憶に浸る余裕すらなく、大阪に帰ってきてからもただひたすら記憶と現実の重ね折りをしているうちに、やっと年齢を重ねたことを自覚させました。
自然は少しも変わっていないのに、人間だけが変わっていく…
でも、それが人生…
凡人の小生には説明しがたい難問ですが、
不易…それは無の心、なるがままと感じとりましたが…
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