東京はいつ行っても元気ですねー
大都市東京の街は行くたび毎に変貌を遂げています。
以前はあまり気にしなかった高層ビルの灯りが新幹線の窓越しに林立して輝いておりました。
特に品川周辺に多い印象を受けます。
15日火曜日夕方に大阪発の新幹線に乗り、17日午後に帰ってきました。
千葉ニュータウン自宅周辺の町並みも大変貌を遂げつつあり、駅前にマンションが林立し、「オール電化マンション発売中」の看板やのぼりが至る所に立てかけられておりました。
どんな設備になっているのだろうかと、関心がありましたが、他方で、バス便の自宅付近では建築中の住宅が多く見られ、きれいに区割りされた土地に分譲中ののぼりが風にはためいておりました。
驚いたことに、近くには130数坪の分譲区画が売り出されており、今までに動きが鈍かった東京のベッドタウン住宅事情が明らかに変わってきつつあることが伺われます。
しかも、帰りのバスで見た光景は衝撃的なものでした。
小学生が今までとは反対方向に集団下校していたことです。
その下校方向に新居住者が増えたことが証明される出来事でした。
どこの地域でも、子供の姿が極端に少なくなる中で、反対に増加しているであろう千葉ニュータウンの情景はなんか別世界のものに見えてまいります。
20年前に野原?に基礎工事を真っ先に行った時のことを思うと、明らかに変貌を遂げつつある、そんな風に見えました。
さて、ある雑誌に「必死」のことが書いてありました。
「必死になって行えば成らぬことはない。」とも。
人間は我が身可愛さが優先し、必死になることは意外と少ないと思います。
また一方では、必死になる要素も持ち合わせず、ほどほどの場面で「まあーいいか」と妥協することの方が居心地が良いものですから、ついそちらを選択してしまうことが多いのではないかとも思います。
和歌に通じた信玄公は「為せば成る 為さねば成らぬ成る業も 為さずに捨つる 人のはかなき」と詠んだとされていますが、戦国時代に自国を護るには命を掛けての一所懸命、すなわち「必死」の意識が輝いていたのですね。
転じてこの太平の世に、一所懸命必死になって会社の行く末を小生は考えていきたいと密やかに念じているところです。