土のにおいが強くなり雑草の緑が勢いを増すなど、春に向けて周辺の生き物が怠りなく準備をしている。

ようやく枯草の処理を済ませ、圃場はタデの生育環境を整えることができた。
休みを活用した作業であるのでとても長い期間を要した。

※整備されたタデ圃場

しかし、安心はできない。
除草剤等の農薬を一切使用しないので、これからは雑草との長い闘いが待っているからだ。

この試みはすこぶる良い。
なぜなら、栽培から商品加工まで一貫生産を行うので安全安心が担保される。

しかし、それはタデの栽培自体が風前の灯火の中にあり、いつかは栽培をあきらめなければならない時が来るのを、その時をしばし待っているに過ぎないであろうことを思いめぐらせ知っているからだ。

改善策は?

今のところも持ち合わせていない。
それは、まず栽培している農家さんの存在を聞くことがないこともある。

およそ今の時代には利用機会がなく需要がないため市場が扱ってくれないので、いわば「売れない作物」になってしまったこともある。

そんな折、滋賀県の三輪神社宮神主の方から、「天平16年から行われてきた伝統行事を何とか継続させたい。地元の畑でのタデ栽培が困難となり大徳がたで酢の製造とタデの栽培をしていることを知った。タデを分けてもらえないか。」
との問い合わせがあった。

聞くところによると、「地元の神社の神饌物にドジョウのなれ鮨を作る習慣があり、相当量のタデを使うが近年は入手困難になっている。」とのことであった。

たで酢(たでず)が記録されたのは室町時代初期の書、四条流包丁書による。
それよりもはるか前、奈良朝の時代に始まった神社の伝統行事にタデが使われていたことは驚愕のことである。

簡単に調べてみたら料理方法の口伝書として四条流包丁書に記される約590年前、西暦744年にはすでにタデが神饌物のドジョウのなれ鮨に関与して人々の生活の中に存在していたことになる。

古より、人々の地域生活に溶け込んで存在感を示してきたタデ、知れば知るほど人々の生活に関わってきた長い長い歴史の中に、タデの役割について考えさせられる。

タデがもたらせてくれたご縁を大事にしていかなければならない。

※やっと顔を見せてくれたタデの芽

※注釈
ここでのタデはヤナギタデをいい、よく刺身のつま・彩りとして添えられる紅タデのことではない。