同窓生から電話が入りました。
当時、野球少年であった小生があこがれていた人で、非凡とも言える卓越した野球センスを持ち、小学校を卒業してすぐに甲府の名門校に野球留学?した人でした。
今風にいえば、昭和30年代当時の野球留学への道筋を付けたような人でその道のパイオニア的な存在でした。
実際にチームの中心的な役割を担い甲子園まで導いたと聞いております。
この様な人物は多くの人々のリーダーとなり、ここに至るまでどの様な活躍をされてきたかは想像に難くないことです。
中学生の時のことで細かなことは覚えておりませんが、凱旋した○○ちゃんが投げるバッターボックスに立たせてもらったことを鮮明に覚えております。
3球ともボールが見えないのです。
なにせ早いし、立っているのが怖いのです。
一度くらいは振ったように覚えていますが、他は腰を引いて怖々立ったまま終わりました。
昭和30年代のことですので、田舎育ちがあこがれる山梨の中心地甲府で早くから洗練された生活を送っていた○○ちゃんは同窓生の中でも一番輝いて見えました。
その還暦を迎えた者同士が語らう○○ちゃん!の連発!
これを「絆」と呼べるものであるならば、さてこの絆をどの様に説明したらよいのか…
還暦という時節が巡り合わせたこととはいえ、この絆は正に「生きる」ということに値するものではないのだろうか、と
そして、人間の「生き様」について沈思黙考させられるのも、これまでの人生をリセットして生まれ変われる還暦ではないかと考えております。
同窓生とのいろいろな話しの中で、フッと甲斐武士について思いめぐらせました。
○○ちゃんの生き様は紛れもない甲斐武士そのものではないのか、と。
2007年11月28日 at 9:41 AM
一ヶ月ほど前に中学時代の同級生に会ってアドレス交換をしました。「自分はいつでもいいからゆっくり会おう。連絡待ってるよ。」っていってくれました。何時にしようかと思案中なのですがなかなか・・・。でも早くアポを取りたいと思っています。タイミングをはずしてしまうと駄目ですよね(**)
2007年11月28日 at 1:10 PM
三沢側の岸辺にある「大柳の木」がすっかり初冬の様子を見せてくれています。今、久那土小学校のまわりの山々は紅葉が真っ盛りです。京都祇園の紅葉の美しさには比較できないと思いますが、田舎の自然の姿がそのまま映し出されていて素朴な美しさがそこにはあります。 突然コメントさせて頂きました。今我が家では、先日の同級会の話で花が咲いています。特にTさんの話に力が入っています。「Tはすごい!、Tはすごいよ!」の連発です。48年前にタイムスリップ。とてもうれしそうです。完全に小学校時代に戻っています。還暦をすぎ、自由の身となった喜びもありますが、懐かしい友(Tさん)との再会が特にうれしいのだと思います。これからも突然TELするかと思いますが、よろしくお願いたします。
PS 11/24 甲斐の山々(45年ぶりの同窓会 その2)のコメントに目を通して下さい。お手数で申し訳ありません。 山梨 ジュピター
2007年11月28日 at 7:29 PM
ジュピターさん、小生の生まれ故郷久那土の香りのする温かいコメントをありがとうございました。
久那土の文字を見るだけで涙するのも還暦…
涙もろくなるのも還暦…
60年の齢はいくつもの攻めくる波の積み重ね…
寄せては返し、返しては寄せくる…
いくつもの荒波を乗り越え、小学校卒業以来50年に近い歳月を経て同窓会で再会できたあこがれのTちゃんはどっしりとしていて、その人となりの年輪の重さを感じとりました。
2007年11月29日 at 1:56 PM
○○様
「甲斐武士」のプログありがとうございました。本人に届けました。静かに目を通して、「Tは こんな風に観ていてくれたんだ・・・・・。うれしいね・・・・・。子どもに見せたいね・・・・・。」とぽつりともらしました。彼にとってどんなにうれしかったかしれません。竹馬の友のことばや記憶は、どんなことばや記憶より重いですね。
正に 「友達は宝だ」 といえます。ありがとうございました。
「久那土」のプログも興味深く読ませて頂きました。今も3つの道祖神が50年前と同じようにあります。よく覚えていましたね。公会堂の近くの道祖神のことを。今でも昔のTさんのように、上田さんの家のお孫さんたち(小学校3年、6年)が毎日その周りで遊んでいます。昔の人は「大切なものは文字で残すか、石に刻め」と言い伝えましたが、石でできたものは半永久的に残っていくものなのですね。少年時代に遊んだ、大草の道祖神を今でもはっきり覚えていることに驚きを感じました。記憶力抜群ですね。
山梨 ジュピター