ポン酢を作り始めてから55年が経過いたしました。
これは小生のことではなく、当ポン酢屋の歴史の話です。
昭和32年にすだちの絞り汁を「ポン酢」として京都の料亭に販売を始めたのがポン酢屋としての歴史の始まりになります。
数日前、とても印象に残る報告を受け「ポン酢屋」の原点である「旨いポン酢」への探求心が頭をもたげてきました。
某日本料理店が作っているポン酢が評判をとっているとのことです。
ポン酢専門店が作っているポン酢よりも、他のところのポン酢が売れているとは「ポン酢専門店」が聞いて何とやら。
まだまだ努力が足りず、探求心も不足していることを知り大いに恥じているところです。
味つけポン酢の味の原点は「フグ」の付け汁にあり、その源は湯通しをした白身魚を食べる際の付け汁にあります。
両者の味は、どちらかというと「淡白」の部類に入り、それぞれをそのまま何もつけないで食べてみても旨さを感じさせることができない具材だと思います。
だからいろいろな工夫を加え、調味料を加味して食べています。
ある時、そんな話で花が咲いていたおりに「脇役のようでいて実は主役になりうるのがポン酢ではないか。」と言われた方がおりました。
ん?
「言い得て妙!」とはこのような場合に使える言葉かも知れません。
そうなんです。
長い間、頭の中で霧が晴れないモヤモヤがあり、ずっーとそのことが曖昧なままに結論を先送りにしていたことがこのことです。
果たしてポン酢は脇役なのか主役なのか…
「食材の味は、実はポン酢などの調味料の味で決まるのではないか?」
ということです。
でも、小生の頭の中に棲んでいるポン酢さんはこのように控えめに申しております。
「私は決して主役ではありません。あくまでも主役を引き立てる黒子の役割でしかありません。主役などとは恐れ多いことですので全てに脇役に徹しております…」
と。
いずれにせよ、ポン酢がもたらす責任は重大です。
香りよし!、味よし!活きもよし!
の料理をさらに引き立てて、最高の旨さを提供しなければなりません。
どこまで行っても到達点が見えてこないポン酢造りはなかなか一筋縄ではいきません。
日々の積み重ねを持ってしても、たちどころにひっくり返されてしまう奥行きの深さには閉口するものがあります。
だから、また新たなチャレンジができるのも「ポン酢造り」がそこにあるからなのですネ